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猫になりたい -1- 飼っていたペットの話

猫になりたい。

スピッツの歌に「猫になりたい」という歌があるが、私は大人になるにつれ、

「猫になりたい」

そう思うようになった。

といってもたぶん、実際の猫になりたい、というのではなくて。

「猫みたいな感覚を持って生きてみたい」

こっちだ。

長くなりそうなので、分けて投稿してみる。

猫を飼わない理由

犬を飼ったことがある。

猫は飼ったことがない。

抱き上げたり、だっこしたりするとき、犬はガッシリホールドできるが、猫は重力とともにグニャーンと伸びてしまう危うさが、どこか心もとなくて、苦手だった。

あとは…


事件は突然起きた

昔、飼っていたセキセイインコのプッチが賢くて、ある日、カゴのドアを嘴で開けてしまって、日向ぼっこ時間のベランダのカゴから下の芝生に飛び降りた。

私たち家族も急いで下に降りて、名前を呼んで探したら、片腕というのか、片翼というのか、それだけが地面に残されていた。

後からわかったことだが、たまたま出産し、授乳中で空腹だったらしい白い猫に食べられてしまったようだった。

小学生だった私たち姉妹には、なかなか残酷な、そしてはじめて目の当たりにする自然界の食物連鎖、弱肉強食だった。

母猫は、探し回る私たちに警戒し、逃げてしまったようで、後にはミャーミャーとか細い声で泣く仔猫が残されていた。

私たち姉妹は、そこで「この仔猫は、プッチの生まれ変わりだ」というような意識になった。

もちろん、時系列はおかしい。

母出産→仔猫誕生→授乳→母空腹→食べる

でも、そうでも思わないと、一瞬で起こった出来事によって突如空いてしまった穴を、きっとどうにもできなかったのだろう。

そして、目の前で、母の気配が消えて得体の知れぬ不安に襲われているのであろう白い仔猫を放ってもおけなかったのだろう。

私たちはしばらく離れて、いったん家に帰った。

プッチの片腕を、好きだったおもちゃとともに、きれいな小箱に入れた。

ベランダで母が育てているお花で埋め尽くした。

そして、ベランダから母猫の迎えを待った。

夕方になっても、母猫は戻ってこなかった。

温めた牛乳を運んだ。

夜寒くないように、箱と布を用意した。

翌日も、仔猫はひとりぼっちだった。

仔猫に人間のにおいがついてしまったからなのか。

ばつが悪いとと思っているのか。

とにかく母猫は戻ってこなかった。


私たちは、プッチの命が受け継がれたような仔猫の命を、預かることにした。

父の主義 我が家の方針

ここまで読むと、

「あれ?結局、猫を飼ったことがあるの?」

と思うかもしれないが、うちの父が「動物は可愛いけれど、先に死んでしまう、その時が悲しいから、飼わない」という主義だったので、1週間我が家で過ごした白い仔猫ミルクは、知り合いの家に旅立っていった。

今度は

「あれ?セキセイインコ飼ってたんだよね?父?」

という疑問が湧くだろう。

そこは、こうだ。

父的には同じくNGだったのだが、ペット売り場の小さな雛の飼育カゴで、周りの雛たちに上に乗られて、潰されて辛そうにしていた?プッチをどうしても助けたい、そんな妹の熱意に父が負けた。

プッチはとても賢い子で、よくおしゃべりや芸をして楽しませてくれたし、大きな人間相手にしっかり自己主張もして、小さくても家族の一員だった。


話を猫に戻そう

だいぶ脱線してしまった。

白い仔猫ミルクを人に譲り渡したあと、我が家に猫がいたことはなかった。

猫に対して恨む気持ちは、不思議と全くなかった。

私だけでなく、たぶん家族全員がそうだった。

外で猫を見かけたら、友人の家の猫に会ったら、変わらず「可愛い~!」と思えた。

たぶん、その後も我が家では鳥を飼っていたから、それだけの理由だろう。

プッチがいなくなってから、なぜか「この鳥、お宅から逃げた鳥ではないですか?」と持ち込まれたセキセイインコを飼うことになったのだ。

そこから、なぜか文鳥、十姉妹、コザクラインコ。

持ち込まれる鳥プラス、妹が飼育カゴでいじめられて不遇な状況から助けたいと思う子が、我が家にはひっきりなしにいた。

だから、猫に恨みはなかったが、家族全員、「鳥と猫は一緒にしてはいけない」という暗黙の了解のもと、猫は我が家には現れなかったのだろう。

猫とは、私にとって、未知の領域のままだった。

ちなみに犬を飼った理由

ちなみに、我が家が犬を飼ったのは、これよりずいぶんあと。

妹がアルバイトをする年齢になったあたりである。

バイト先の側溝に落ちて怪我をしていた迷子犬を預り、病院につれていき、貼り紙をし、3週間待って、飼い主が現れなかったらうちで飼う、と父の了承も得ていた3週間目最後の日、飼い主が現れた。

いろんな名前を呼んでみる中、「チビちゃん」というのに反応したその子が、もはや我が家のチビちゃんになった、と思い込んでいた矢先のこと。

でも、飼い主のもとに帰ることがチビちゃんの幸せだ。


ミニちゃん!

飼い主さんはそう呼んだ。

飼い主さんの奥さんに赤ちゃんが生まれ、ミニちゃんは、やきもちを妬いて、家出をしてしまって迷ったあげく、側溝に落ちてしまったようだった。

私たちは少し笑った。

そして、チビとミニ(笑)

音感も似ていたけれど、意味も似ていた。


その2か月後。

ブリーダーをやっていたその飼い主さんから、チビ(ミニ)ちゃんの孫であるヨークシャーテリアの仔犬を、私たちは破格で譲っていただくことになる。

* * *

「猫になりたい」話をするのに、この話が必要なのか?と思われそうではあるが、実際の猫や鳥、犬、そんな話を通して、私が彼らになんとなく抱くイメージを書いてみたくなった。

長くなりますが、またお付き合いください。

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