空中ディスプレイおばあちゃん
たった1つ、「あ」という文字が間に入るだけで、どうして「おばちゃん」より「おばあちゃん」の方が可愛く聞こえるのだろう。
だから私は、昔からおばちゃんを通り越して、早くおばあちゃんになりたいな、と思ってしまう。
おばあちゃんの深さ
もちろんおばちゃんでも、おばあちゃんでも、その人の個性、暮らし方、価値観、生き方、それによって、それぞれの印象は違うし、可愛いおばちゃんもいれば、厚かましく恐ろしいおばあちゃんだっている。
だけど、おばちゃんの人生の深さと、おばあちゃんの人生の深さは、やはりその年の功によるものなのか、おばあちゃんに軍配が上がる気がする。
酸いも甘いも噛み分けたおばちゃん時代から、さらに達観した余裕、そこからから生まれる深さが、おばあちゃんにはある。
その深さ故の人間としての可愛さが、滲み出てくる。
コンピューターおばあちゃん
今年の初め、Perfumeがカバーして披露した「コンピューターおばあちゃん」。
平成も終わろうとしている今年、「明治生まれのコンピューターおばあちゃん」はとても感慨深い。
明治生まれだけれど、算数国語社会に留まらず、英語もペラペラで、世界を股にかけ、さらに事件まで発見してしまう、おばあちゃんなのだ。
きっと、昔から知識欲旺盛で、新しいものに怯むことなく興味を持って向き合い楽しみながら生きてきたカッコいい女性なのだ、と、私の中では理想のおばあちゃん像だ。
常に変化する時代、その流れに逆らうことなく、でも流されることもなく、その時代その時代をニュートラルな姿勢で生きていく。
そんなおばあちゃんになりたいと、常々思っている。
ツイッターおばあちゃん
私は今年noteと共にTwitterを再開したが、以前は別のアカウントを持っていた。
そのTwitterは、2010年頃から始めたのだが、同じ頃にTwitterを始められた「ミゾイキクコさん」というおばあちゃんを、フォローさせていただいていた。
ミゾイキクコさんとは、まさにコンピューターおばあちゃんが実体化したような、リケジョの素敵な女性なのだ。
(明治生まれのコンピューターおばあちゃんより数段お若い、まだまだこれからの現役おばあちゃんでいらっしゃるが)
私にとっては、まさにスーパースターの登場であった。
一度だけ、リプでやり取りさせていただけたのだが、あのときは単純に嬉しかった。
今や、上に紹介させていただいたWebの記事以外にも、たくさん取材記事があり、テレビにも放映されたこともあり、書籍も出されている素敵な有名人。
理想の将来像として、私の中ではダントツで君臨している。
空中ディスプレイおばあちゃん
VRから、さらにARの世界へ広がりつつある時代。
SF映画でよく出てきていた空中ディスプレイが実用化されるのも、時間の問題なのだろう。
私が本当のおばあちゃんになる頃、空中ディスプレイは、当たり前の時代かもしれない。
私は、それを楽々使いこなせるおばあちゃんでありたい。
デジタルネイティブ世代の娘に負けない、新しい世界を楽しめる人間でありたい。
温故知新、それまでの文化、歴史の知識を踏まえた上で、さらなる知識と体験を追求していきたい。
さあ。
そこに行きつくまで、まだまだ酸いも甘いも噛み分けないと。
元気でいるために、身体も鍛えなくては。
待っててよ、未来の「可愛い空中ディスプレイおばあちゃん」の私。