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(後半)1. わたしは、エルサレムとエチオピアにどういう繋がりがあるのかについて、やっと理解しました。ナイル渓谷とタナ湖とは、ナイル川で繋がっていて、タナ湖はファラシャ人 (エチオピアのユダヤ人)の故郷だったのです。「『聖書の神々』グラハム・ハンコック/マウロ・ビグリーノ対談」(2023/04/07)
テレグラム.EriQmapJapanより、Eriさんのサブスタック.ニュースレター「聖書の神々」(後半)を共有させて頂きます。
Eriさん:
サブスタックに「聖書の神々」のテキストをUPしました!動画と共に拡散をよろしくお願いします。🙏🏻🥰🍿
(後半)1. わたしは、エルサレムとエチオピアにどういう繋がりがあるのかについて、やっと理解しました。ナイル渓谷とタナ湖とは、ナイル川で繋がっていて、タナ湖はファラシャ人 (エチオピアのユダヤ人)の故郷だったのです。
「『聖書の神々』グラハム・ハンコック/マウロ・ビグリーノ対談」(2023/04/07)
ここをクリックすると日本語字幕動画をご覧いただけます👇
ビグリーノ:あなたはエコノミスト誌の記者だったんですよね?その時代にアークを見る機会はありましたか?
ハンコック:はい、ありました。わたしはエコノミスト誌の東アフリカ特派員で、ケニアのナイロビを拠点に、近隣の国々を定期的に取材していました。そのうちのひとつがエチオピアでした。
わたしはハリソン・フォードが出演した映画『レイダース/失われたアーク』を観たあとすぐ、偶然にも、エチオピアに取材旅行に行っていました。そして、エチオピア人がこのアークを所有していると主張していることを知り、わたしはとても興味を持ちました。この魅力的で強力な謎の物体がエチオピアの山中に隠されている、という話だったので、わたしは1980年代初頭の1983年に、それについての調査を始めました。
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当時のわたしは、歴史や先史学や考古学に特別な興味があったわけではないのですが、ジャーナリストなら誰でも、この情報を見て、ここで何かが起こっていると感じたでしょう。エチオピアの主張を否定し「エチオピアには何もない」という考古学者らの話は完全に思い込みです。このことこそがエチオピア文化の根幹であるということを、わたしは自分の目で見たのですから。
そこには、自分たちを“イスラエルの家”と呼ぶエチオピア系ユダヤ人のファラシャ族というコミュニティがあり、彼らは非常に古いユダヤ教を実践しています。彼らはイスラエルによる宣教活動の結果、タルムードを知るようになっただけで、トーラーは持っていたものの、タルムード自体は持っていませんでした。ですから、彼らは非常に古いユダヤ教なのです。
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第一神殿が破壊されて以来、ユダヤ教では禁じられていると思いますが、彼らは子羊を生贄に捧げていました。そして彼らには、エチオピアに契約の箱を持ってきた経緯などの豊かな歴史があります。それらは、エチオピアの民族叙事詩で語られる物語とは異なる内容です。
エチオピアの民族叙事詩はケブラ・ナガスト(=王の栄光)と呼ばれています。その中で、彼らは「シバの女王がエチオピアの女王であった」と主張しています。彼女は聖書で有名なソロモン王の宮廷を訪問し、エチオピアの説によれば、彼女はソロモン王によって妊娠させられ、エチオピアに戻って出産し、その子をメネリク(賢人の息子)と名付けたということです。
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1314年から1322年にかけて書かれた『ケブラ・ナガスト(王の栄光)』は、ソロモンとシバの女王マカダの息子であり、エチオピアの王となったメネリクの誕生を描いている。この作品は、エチオピアの文学と文化の重要な一部となった。
その話によると、メネリクは20歳か21歳のときにエルサレムに戻り、父親に認知され、ソロモン王の宮廷で1年過ごした後、どういうわけか契約の箱を盗むことに成功し、それをエチオピアに持ち去ったと、ケブラ・ナガストに書かれています。
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また、ケブラ・ナガストには「ソロモンはこのことを良しとした」とも書いてあります。これはつまり、神が他のどこかではなく、エチオピアに在ることを望んだからだということです。
この話には多くの問題があって「エチオピアのユダヤ人の非常に古い共同体の謎めいた存在が、どのようにしてエチオピアに行ったのか」という話が考慮されていません。彼らはエジプトを経由してそこに辿り着いたと言っています。
彼らの祖先はナイル川に浮かぶ島で何百年も過ごしたそうですが、それがエレファンティーナ島であったということは、はっきりとわかっています。なぜなら、そこにはユダヤ教の神殿が建てられていたからです。その神殿は、第一神殿時代に建てられました。
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ビグリーノ:ここでちょっといいですか?エレファンティーナのヘブライ人は、ヤハウェの妻を知っていました。ヤハウェの妻を知っていたということは、彼らはユダヤ教とは別の宗教であったと思います。
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ハンコック:その通りです。そこで、この物語が歴史につながる興味深いポイントに入ります。エレファンティーナ島にユダヤ教の神殿があったことは事実で、彼らはエルサレムとの交流もおこなっていました。神殿はソロモン神殿と同じくらいの大きさで、その神殿の建設についての説明を聖書から探したところ、わたしが見つけた唯一の説明は、 “主の契約の箱のための安息の家”ということでした。つまりそれは、契約の箱が置かれる場所だったのです。
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ビグリーノ:なるほど。
ハンコック:そして、第一神殿がまだ存在しているときに、突然、エジプトに同じ大きさの別の神殿が建てられたのです。エチオピアのユダヤ人は、彼らの先祖がその島から追い出されたと言っていますが、エジプトの歴史から、このことが事実であることがわかっています。その島にはユダヤ人のコミュニティがあり、エジプト当局と対立していました。
というのも、エレファンティーナ島はエジプトの羊の頭を持つ神クヌムに捧げられていたからです。エジプトとの対立は、雄羊の生け贄がおこなわれていたことに起因していました。
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そして、手短に言うと、フラッシュ家の先祖は、敵対するエジプトを北上してエルサレムに行ったのではなく、南へ逃げ、ナイル川の水系と青ナイルの支流を辿り、エチオピアのタナ湖に行ったのです。タナ湖はエチオピアユダヤの故郷であり、
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ビグリーノ:タナ?。
ハンコック:タナ湖です。青ナイルの源流にあるんです。
ビグリーノ:なるほど。ここでわたしは、エルサレムとエチオピアにどういう繋がりがあるのかについて、やっと理解しました。ナイル渓谷とタナ湖とは、ナイル川で繋がっていて、タナ湖はファラシャ人(エチオピアのユダヤ人)の故郷だったのです。
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これを知ったとき、エチオピアの話は本当に真剣に調査する必要があると感じ始めました。そしてわたしは、これを深掘りすることになり、これがわたしの人生において、時事問題の調査から過去の調査へと移行した瞬間でした。
アークの設計図を読んでいて最初に感じたことは「これはまるでテクノロジーの破片のようだ」ということでした。アークは、設計図の指示通り、金や木で慎重に作られています。中には謎の石版が置かれていて...それが何であれ…人類が過去に忘れ去ったテクノロジーの可能性に、わたしの目を開かせてくれました。アークの謎に出会わなければ、わたしは、失われた文明の可能性についての本を書くことはなかったでしょう。
個人的には、エチオピアの主張は、多くの理由からかなり強力だと思います。しかしある意味で、わたしの人生における “エチオピアの謎”の役割は、考古学者たちが完全に無視し、ただ馬鹿にして退けている過去の謎の範囲について、自らを教育することだったのです。
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彼らは神話や伝統などには興味がなく、ただそれらを否定するだけです。そうすることで彼らは、重要なものを不要なものと共に捨ててしまっています。科学者で在り続けようと必死になるあまり、重要なことを見落としているのです。
わたしにとって重要な教訓となったのは「過去には説明のつかない謎があり、それは現在の歴史モデルでは説明できないものである」ということです。それゆえ、今の教科書に載っている歴史に疑問を投げかけなければならず…そのことに、わたしは人生を捧げてきました。
ビグリーノ:多くの謎は、2つの簡単な方法で説明がつくと思います。
ハンコック:はい、非常にシンプルに説明できるでしょうね。
ビグリーノ:そう、とてもシンプルです。
ハンコック:はい、そう思います。
ビグリーノ:でも、あなたのエチオピアでの経験は、わたしたちにとって素晴らしい贈り物になったと思いますよ。
ハンコック:ありがとうございます。
ビグリーノ:本当に、全人類にとって素晴らしい贈り物です。
ハンコック:ありがとうございます。あれは、わたしにとっても素晴らしい冒険で、それまでまったく氣づいていなかった問題や課題に氣づかせてもらいました。そしてそれ以来、わたしは、この道を進むことになったのです。
過去に対する単一の見方だけでは、現在の人間の状況を理解することは不可能だと思います。わたしたちは、多様な見解を持たなければなりませんし、すべての見解に対してオープンでなければならないのです。
ビグリーノ:はい、もちろんです。
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