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中学時代の修学旅行が沖縄だった。


約10年前の話。

旅行の最終日は
国際通りでの自由行動から始まり、
お昼も各々で食べることになっていた。

定番のソーキそばと…ラフテーも食べたんだっけ。
一番よく覚えているのは、レモン水の味だ。
ちょっと変わった味がして、これはなんだろうと思ったら
ピッチャーの中に輪切りのレモンが見えた。
初めて飲んだレモン水だった。

ウルトラマンだか何かのフィギュアがどーん!と
鎮座している、最高にごちゃついた楽しいお店で
パイン味のぷっちょと、シークワーサー味のハイチュウと、ちんすこうと、紅芋タルト…あと何買ったんだっけ。
とにかくお土産をたくさん買いました。

タイムリミットを迎え、
集合場所にわらわらと揃う約200人。

友達は「ほっとけ俺の人生だ」
って書かれたTシャツを買ってた。

2泊3日の旅行もついにフィナーレ。
楽しい思い出と一緒にいざ空港へ!
…というタイムスケジュールではなかった。


最後に向かった地は、旧海軍司令部壕だった。


我らが学年団、
中3のテンションを上げて落とすプロでした。

いや、行くなとは言ってないんよ。
平和学習をかねての修学旅行だったわけだし。
すごく大事なことだと思う。
でもなんでよりによって最後にしたん…?
なんでこんな辛い思いで帰らなあかんの…?
ワシら、なんかしたんか…?

と、当時は本気で思っていた。

帰りの飛行機はまるでお通夜。
不良の同級生たちも静かな帰路だった。



すごく怖かったのを覚えている。

地下へとまっすぐ続く階段。
手掘りの細い通路。
部屋と呼ばれた空間は、穴だった。

暗かった。
地下だから暗い、というのとは違った。
重たい空気が
ずっとそこに蹲っているようだった。

見なきゃ、感じなきゃ、と思ったけど
思わず早足で歩きたくなるところもあった。


手榴弾の飛び散った痕は残っていても、
惨たらしい血の色や匂いはない。

でも、その空間のすべてが、
恐る恐る吸い込んだ重たい空気が、
あるがままの現実だと言っていた。

もう何も分からなかった。

壕から出た後に見た空は
たった2時間前とは違う色に見えたし、
なんだろう…なんだろう?

全然言葉にできないや。

たぶん、自分の中の何かが
変わってしまったんだと思う。


あの日から、私にとって
沖縄はリゾート観光地ではなくなった。



部屋を片付けていたら、
当時のパンフレットが出てきたことがある。

すごくドキッとした。

トラウマ…なのかな。
でも、トラウマになるくらいでちょうどいいのかもしれない。

軽い気持ちで
「沖縄行きたいなぁ」とはもう思えない。



印象に強く残っているといえば、
絶景の万座毛。
自決の地と聞いてすっごく悲しくなった。
でも、バスを停めたところの土産屋がすごい普通だったんですよ。
ゴーヤーマンの顔出しパネルとか置いてあって、ザ・昔ながらのお店なの。
そのお店を眺めてたら、なんだかものすごく切なくなっちゃった。


他にも平和記念公園や、ひめゆりの塔、
学徒隊だったおばぁの話、嘉手納基地も行った。

あー…これは楽しい修学旅行にするつもりなかったな?

平成生まれの小童どもに、
戦争の傷跡を間近で見せつける3日間。

私はあの時、
果てしなくゼロに近いほどに希釈した
「戦争」を体験してきたのかもしれない。


あのブルーとも灰色とも言えない心情のまま旅を終えたこと。
当時は相当恨んだけど(笑)、
大人になった今なら、学年団の英断だったと評価できる。

だって、今でも強烈に覚えているから。

もう一個辛い思い出がありました。

美ら海水族館。
めちゃくちゃ楽しみだったのに、滞在時間たったの30分。
隣のエメラルドビーチに行きたい班の皆に急かされて
イルカショーもマナティも見れずじまいのまま。

そろそろ、美ら海水族館のリベンジがしたいな。

本日6月23日は沖縄慰霊の日。


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