人生の転機のみゆきち。の人生

こんにちは。みゆきちです🕊️

私には夢があります。それは

地球のhappiness数値を上昇すること

さて、一つ前の『高校生までのみゆきち。の人生』では
劣等感と頑張って生きてきた私、大学生になるまでの私を綴ってきました。詳しくはこちら↓


そして、いろいろな捉え方があると思うのですが、前提として
今は本当に幸せ、心の芯から感じています。
本当におかげさまです。
家族にも愛されているし、私自身を愛しています。

余談ですが、これは、上京する日にもらった家族からのプレゼント🌷
友人からもいただいて、本当にみんなから愛をいただいていた🙇‍♀️

色紙。笑 
右上は父から「読んだ本にでもつけとけ〜」ってもらった
『美幸蔵書』のハンコです。


では!!
今回の記事では大学生になってから挫折(転機)までのわたしを綴ります。


大学に入学

劣等感はなくなった。(と思っていた。)

だって上智大学に入れたんだもん!

これで、祖父母から比較されることもなくなるし
やっと親元から離れられたし最高!

なはずだった、、

夢見た大学生活はコロナによって、なかなかしんどいものだった。

  1. 大学の新しいお友達ができない

  2. パソコンに慣れて無さすぎて、履修登録するのに泣きながら2日間

  3. 東京の環境が思っていたよりも合わない。笑

そんなこんなで、ストレスだらけ…


大好きだった格闘技

そんな中、受験終わりに地元愛知県で始めた格闘技にどハマりしていた
確か、秋頃にはじめて、2月にアマチュアデビュー


勝ったど〜!一勝一敗💪

毎日練習と、10〜20キロくらいのマラソンと、過度な食事制限をする
完全オリジナルなスタイルで

生理がとまった

東京に上京した私はジムを移した。
週7で通う生活、大学行かない代わりに、ジムに毎日通っていた。

大好きだった

毎日練習中の動画を撮って、自分の改善したいポイントを見つけては、頑張るの繰り返しで、どんどん上達した。

6月にプロデビューのオファーが来た。

とても迷った。
相手との体格格差があり過ぎたから。
なかなか契約体重が決まらなかった。
でも、私は当時、『何事も経験』だと、死ぬ気で頑張る覚悟を決める。

毎日終電
出稽古にも行きながら、日本の女子トップの選手が集まる場で
ボコボコにされ続けた。
おかげさまで、精神力はかなりついたと思う。

毎晩お家に帰っては1人で泣いていた
肋骨が腫れた。
折れたかと思って病院に行った。脛が腫れることは当たり前。

プロデビューする数日前、公式に発表された体重は
事前に聞いていた契約していた体重とは
異なっていた。

相手サイド寄りに1kg増えていた
気にしていなかった。そんなの、誤差だと。

計量中(ドキドキ🫀)
計量クリア✨

いろんな方々の支えがあって、無事に試合に出ることができた
本当に右も左もわからない私を、ありがとうございました。

いよいよ試合。緊張していて何も覚えていないけど。笑


一生涯、記憶に残る濃い経験になった


プロデビュー戦は負けた

プロデビュー戦に愛知から東京まで来てくれた父親に最初に発した言葉

「ごめんなさい。」

最後までごめんなさいしか言えなかった。
負けてしまうこんな醜い娘でごめんなさい。
父親の株を落としてしまった気がした。

そんなこんなで、プロデビュー戦が終わって
休むことなく、すぐ練習に戻り
怪我をした

気がついた時には、精神的にも肉体的にもジムに行けなくなっていた。


大嫌いになった格闘技

大好きだった格闘技が

気がついたら大嫌いになっていた。

死のうと思った。
ジムの環境が当時の私の全てだった。

期待されてきた、みんなの期待に応えてきた

負けた私が許せなかった
契約体重が変更になっていたのも許せなくなってきた
人への不信感も持つようになった

頑張る私しか、生きれてこなくて

だから

そんな期待や頑張りをぜ〜んぶ手放した時の私の本当のこえは

わからなかった、

なかった。聞こえなかった。

というよりは、期待や頑張りで生きてきた私は
それらをすぐに手放せなかった。

一人ベッドで泣きじゃくる生活

「ここで死んでもだれも気がつきやしない。(怒りと悲しみと…)」


みんなが
「こんなことを期待しているだろう」
そんな架空の私像にわたしを当てはめて、行動してきた。

一生懸命歩んできた私の人生を振り返って
本当のわたしがいないことに気がついた。

絶望

私の人生をわたしが全否定した。

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今も大切にしている、格闘技からの学び
・好きと仕事のバランスは難しい。
・好きなモノ・コトを好きでい続けるための努力
・自分をメタ認知する
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自然の中へ

3ヶ月くらい経ち、
母親から自然の中に出るタイミングをもらった。
母親が私に手を差し伸べてくれた。

その時から人生は大きく変わり出した。

To Be Continue …


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