「真夜中のミサ」解説②あのシステムどうなってんの編
前記事では本作のベースとなっている汎神論をエリンの独白と合わせて簡単に説明しました。ご興味持ってくださる方は是非
今回はちょっと混乱してる人もいた吸血鬼ルールについてです🪐
「何がどうなったら吸血鬼になるの?」「襲われた時に死ぬ人と復活して吸血鬼になる人の違いは?」などです。
❇️吸血鬼の成分が体内にあったら、死んでも復活する!
意外とルールはシンプルで、殺される前にどれだけ直前でも良いので、とにかく体内に吸血鬼の血が混じっていたら、その後(直後でも時間が経ってからでも)死んでも復活できます。ただし日光をガッツリ浴びると死にます。
ヤバいモンスターである教祖みたいな吸血鬼本人の血を飲まなくても、吸血鬼になちゃった人間の血でもOKです!
そしてもう一つ視聴者を混乱させたのが、教祖的モンスター吸血鬼は襲った人間に対して…
✅①自分の血を飲ませる+殺す
ライリー・フリン(主人公格の男性/交通事故加害者)がこれですね。吸血鬼モンスターに襲われ事切れる直前に吸血鬼の血を飲まされたパターン。直前に接種しても効くようで復活できます。
✅②自分の血を飲ませる+殺さない
神父はこのパターンです。吸血鬼モンスターにあれだけ激しく襲われても致命傷には至らなかったようで死んでなかった模様。つまりケガはしましたが吸血鬼の血を飲んだだけ。なので彼はその後も日光に当たって普通に生活できました。しかし第三話でポール神父はベブとスカボロー家の前で倒れ血を吐いて死にます。そして生き返り日光に当たれなくなります。
✅③殺すだけ
第二話で島で麻薬を売っているボウルが見えない襲撃者に襲われます。彼は殺されただけで血を飲ませてもらえなかったようで、死んだままでした。
…と3パターン行っています。吸血鬼になった元人間たちも他者に対してこの3パターンの行いを実行しています。
ミルドレッド・ガニング(医師サラ・ガニングの母でどんどん若返っていったオバアチャンですね)は神父と同じく激しく若返り更に血の欲求が強くないようだったので、②自分の血を飲ませる+殺さないだったのでしょうか。
✅神父の計画ってそもそもヤバくね?の巻
…みたいな感じだったようです。「血に飢えちゃう問題」に関してはもう神父はジョー・コリー(大酒飲みで女の子リーザを誤射した男性)を殺し血を飲みまくったことを開き直っていたので、どう考えていたのでしょう😱
ただ扉は閉めるよう指示していたのですね。
そこに登場、我らがベヴァリー・キーン😇
襲われて復活できない人間とは吸血鬼成分が体内にない人間、つまり聖体を受けに教会に来ていなかった不届き者なわけです。彼女にとっては。「これは神の選別よー!」と彼女は言います。そして扉をあけ放ち、血に飢えた信徒たちは島民を襲いまくります😵💫
✳️可哀そうすぎる島民代表ハワード・ホブスさん。
島民たちは襲われ殺されていきます。そんな中で、一しきり島民を襲いまくった後に教会に集まった信徒たちを見てベヴァリー・キーンが「あんらー!ハワード・ホブスやん!なんでアンタがここにおんねん!スタージ!あなたが祝福したのねー!もー!」的な場面があります。「妻子殺してしまったー!」とうなだれるハワード・ホブスなる男性。
彼は教会に通っておらず吸血鬼の成分の体内に持っていないので、本当なら襲われて致命傷を受けたら死んで終わりのはずです。でもスタージが「いっつも俺に良くしてくれるから」という理由で、襲いつつも自分の血を飲ませたのですね。なので彼は復活を遂げたのです。そして血に飢えて妻子を襲い、しかしこんな吸血鬼システム知らないわけなので、妻子に血をあげなかったので、そのまま妻子は亡くなったのです(血を飲ませて吸血鬼化させても悲劇ですが😨)
✳️神父の罪、重すぎじゃね問題
そうなると、島民目線で見ると神父の罪が重すぎるわけですよ…
①明らかモンスターを連れて帰って来た罪
②しかも理由が元恋人と二度目のチャンス欲しかったという利己的すぎでしょう罪(最初は島民の幸せのためって言ってしましたが)
③そもそも司祭の禁欲主義破ってた+相手が既婚者で姦淫すぎ罪
④ジョー・コリー殺害して「罪悪感感じないもんね!」と開き直った罪
⑤信徒にヤバい血液混入させたワインを飲ませまくった罪
⑥信徒にネズミ殺す毒物飲ませた罪
⑦血に飢えた吸血鬼に変えた罪
そして何より阿鼻叫喚、地獄と化す島と神のごとく選別をする狂信者ベヴァリー・キーンを見て「俺が間違った…😭」と悟り改心するのですが、その結果、
⑧日光を避けられる最後の場所であった教会を燃やす
待てーい!!!!!
主人公チーム(エリンや医師のサラなど)がね、本島へ吸血鬼が進出するのを防ぐため教会を燃やし吸血鬼を殲滅しうようとするのは理解できるんですよ。彼らは一貫してこの被害を食い止めようとしており、もう殲滅以外に道はないと考えている。
でもさ、神父さんは勝手に島民を吸血鬼にしまくり、多少ヤベー奴だとリスク感じつつも島民のこと思って吸血鬼連れて来たんでしょ。結果、ハワード・ホブスさん始め気が付いたら襲われて吸血鬼になって家族殺して、そして唯一の日陰も奪われる。いやいや血に飢えちゃうの分かってたやん!神父は本島の人間のこと以上に島民に対してもう少し責任取ってよ~😭ヴァチカンのエクソシスト頑張っ連れてきてよ!(もはや別の話w)
あの状況だと神父には島民を助ける術はなく殲滅以外ありえないのだとしても、なんで元恋人と穏やかな顔でキスして逝っとねーーん🙈「赦してくれるかい?」って赦しは贖罪、つまり罪を贖った先にあるもんじゃないの…。
❇️マイク・フラナガンの意図から外れて…
マイク・フラナガン監督は本作を語る手記の中で、原理主義主義、狂信、証拠がないにもかかわらずまたは矛盾しているにもかかわらず何かを信じ込んでしまうこと、道徳的確信の危険性、排他主義などの恐ろしさを語っており。
その恐ろしさを体現しているのがベヴァリー・キーンというキャラクター。モンスター吸血鬼の教祖様は人外なので置いておいて、我々が一番陥ってはならない性質として彼女は表現されており☂
ただ神父をディスりまくった後で恐縮なのですが私は狂信的な女性悪役が大好きなのです🙊どう見ても悪でしかない行いを聖書の超解釈によりOK判定に持ち込む姿、あまりに強くてめっちゃ笑いましたw
物語中何が起こっても全て受け入れて自分を貫き通した彼女の姿勢、フィクション作品として安全圏から見る分には一種の爽快感すら感じてしまい☄
死にたくないと土を掘る場面なんて、最後まで本当に裏切らない。彼女だけは物語の中で最後まで制作陣の倫理観から外れてある意味で自由なキャラクターでした。
これ以上書くとあまりに長くなるので割愛してますが、全編面白すぎて夢中で見ました。なんか神父さんディスに力が入りすぎてしまいましたね。すみません🙈