見出し画像

むすこ。

今回は、先日の幸運の日2日目の
私がどうなったのか・・・
というお話です

占いの本からいくと~
自分の計画通り物事が進む日。
最終的にどうなれば自分が
満足できるのか
よく考えてみましょう。
と書いてあって

なるほど。
7年ほどの闇が明け
夢と希望が叶う年。
とりあえず信じているんだけど
信じなきゃ始まらないしね

前夜は早めに寝て仕事は休み。
朝からスッキリ気分良く
ななちゃんにコメント返したら
なぜか、まーくんから
朝の9時なのに
謎のスタンプが送られてきて
え?え??なんで!!
どーゆーこと!?
ちょっとだけ今日1日に期待し
ワクワクしちゃったわけです

すると、午後になり
学校にいる息子からラインが来て
「胃が痛いから早退していい?」
どした?お弁当食べたの??

熱もなかったし
一度は保健室から教室へ
戻ったものの・・・
やっぱり無理、早退する。
その後、そう言ってきた

しばらくすると
「ママ助けて 迎えにきて」
何を言ってるんだろう??
息子らしくないわねぇ~と
最初はそう思って
あわてて飛び出し
迎えに行ったら駅長室にいて
ソファーで横になっていた
実は息子は途中下車した駅で
保護されていた

思えば、私が乗った電車内で
『電車内や駅構内で
 具合を悪くした方を見かけたら
 駅か係員までお申し出下さい』
妙なタイミングね、とは思った

しかし、立ち上がり2歩3歩・・・
歩くのがやっと。
うずくまるばかりでね
実は何度も駅員さんに
救急車を呼ぼうと言われても
拒否を続けていたんだそう

病院行こうか?声をかけるも
それでも息子はとにかく
自宅へ帰りたいと言い
どうしちゃったんだろうねぇ?
とにかく私も早く息子を連れて
帰りたくなってね・・・

やっとの思いで最寄り駅まで
長い時間をかけ戻ってきた

駅には私と息子の自転車が
2台あったんだけど
仕方ないから私の自転車で
息子を乗せて帰ろうと
後ろに乗せて走るも
何秒と持たず降りてうずくまる
道行く優しい人から
大丈夫?何度か声もかけられた
尋常じゃない息子の様子は
みんながどんどん
振り返るほどになっていき
何度もくり返すうちに
ちょっと駅から離れた場所で
とうとう道路に倒れ込んだ

どうしよう
どうしたらいいんだろう・・・
とにかく家に連れ戻って
それから、それから・・・・・
どうやったら、この子を
担いで帰れるだろうか

そこへ偶然パトカーが
通りがかった
しばらく離れた場所から
私達を観察していたようだけど
立ち上がれない息子と
呆然と立ち尽くす私が
理解できたんだろうな

「お母さんどうしたの?」

もうその時は
息子の顔が真っ白だった
さすがに私はもう
どうしたらいいのか
わからなくなっていたわ

「救急車呼ぼう」
そう言った警察官へ

『嫌です!!お金かかる!!』
息子はシングルマザーの私へ
迷惑をかけたくないと
とても強く思っている子でね
最後の力を振り絞って
警察官へ悪態をついてしまった

私は覚悟を決め
『救急車お願いします』
そう話した。

商店のオバサンが優しい方で
そこに私の自転車を
停めさせてもらうことにして
ストレッチャーで運ばれる息子と
到着した救急車へ乗り込んだ

救急隊員さんはとても冷静。
次から次へと聞かれる質問に
えーっと、えーっと・・・
私は冷静になれるわけがない

搬送先が決まり
救急車のサイレンが鳴った途端
息子は号泣して
「ママーー!ごめん!!」と
私に手を差し伸べてきて
病院へ着くまで
ずっと息子の手を握っていた

処置室に入っていく姿は
まさかダメかもしれないのか?
と、一瞬頭をよぎるほどで
身体の震えが止まらなかった

いろんな検査結果、
息子の原因は不明。
名前をつけるなら急性腸炎。
熱中症でもないんだけど
なぜか身体の中に
腹水がかなり溜まり脱水が激しく
腸がふくれていたそうで
点滴も2倍入れた
胃けいれんのような症状も
あったらしいんだけどね

入院をしたほうが良かったけど
来週から期末試験があり
息子が嫌がってしまい
熱がない、ということで
どうにか自宅へ帰れたけど
着いた途端、そのまましばらく
横になっていたわ・・・

その間に、私はバスに乗り
自転車を取りに行く、を
2回くり返した

病院から帰るタクシーに
ぼったくられたり
自転車を取った帰りに
寄ったドラッグストアーで
ポイント2倍がついてないし
こんな些細なことまで?
次から次へと
なんだか気分が悪くなった

その後、息子はどんどん高熱に。
解熱剤でどうにか熱を下げ
翌日は学校を休んだ
まだまだ本調子じゃなくて
家に帰ればグッタリだけど
その後は学校へ行っている

私も翌日は仕事を休んだけど
人が足りないので
予定外に出勤したりで
さすがに疲れた重い身体が
なかなか回復せず
慣れない仕事に緊張して
出勤前に予習してから
行くのもつらかった

どこが幸福の日の2日目だった?
どこが計画通りの1日?
自分が満足できる考えなんて
あるわけも考えもない

ただ数日経った今
やっと少しずつ冷静になれてきて
何だかわからないけど
“人生の勇気”が出た私がいた
ことだけは気がついた
私は何をやっていたんだろう
私は何をやっているんだろう

明石家さんまさんがよく言う
人生生きてるだけで丸もうけ。
いいオバサンになっても
子供の頃から変わらない
素直でストレートな自分が
いつしか臆病になっていて

それは歳を取って
いろいろ経験してきたから
いろんなことを考えすぎて
こうなっちゃうし
こうしてnoteにこんなことを
何回も書き残しているのに
どうせまた凹むんだけど

救急車の中で
息子と手を握っていた時間は
「いつもこういう肝心な時は
 息子と2人だけで
 不思議な絆なんだよな・・・」
走馬灯に流れる息子との思い出が
グルグルしちゃったんだよね

あの日、2回も取りに行った
自転車に乗りながら
いつもの景色が違って見えた
桜が咲いていたはずの
あの桜通りを走りながら
「絶対にこの景色を忘れない」
と、すごく思ったことだけは
間違いないと思う

ちなみに
こんな時間だけど今日も仕事。
ママは永遠の恋人の息子のために
がんばります

いいなと思ったら応援しよう!