急ぎすぎた結婚
夫と知り合ってすぐに
プロポーズされた私は
結婚願望があったので
できる限り早めに
結婚してしまおうと
急いでしまった
それは
1人っ子だった私は
比較的裕福な家庭に
育ったものの
両親が長期間別居していて
私は母親から
全て管理され精神的に
依存されていたことに
正直辟易していたことから
早く実家から離れたいのと
自分の居場所が欲しくて
まるで渡りに船となり
急ぐ結婚の気持ちに
拍車をかけてしまった
言い訳にしかすぎないけど
“恋は盲目”というのと
“結婚はノリとタイミング”とは
こういうことです
それが……入籍までの
わずか3ヶ月の間に
おかしなことが続いて
何度も結婚をやめたいと思い
逃げ出したかったけど
結婚するんだ、
と周りへ言ってしまった
世間体と意地だけで
ここまできてしまった
まず、夫は同棲していたのだ
そもそも私は単に浮気相手だった。
小銭を貯めたケースを
手切れ金にして彼女を追い出した
およそ80万あったそうで。
そして、
家に出入りをするようになった私へ
夫は突然手のひらを返したように
とても冷たくなり
洗濯、料理、掃除をするように言われ
身の回りのお世話をすることになった
「送り迎えめんどくさいから
住んじゃえばいいじゃん」
実家から荷物を少しずつ運びながら
住所も動かした
「お前の料理なんて
所詮こんなものだ」
私が作った料理はバカにされた
台所に立つのが怖いくらい。
食事は必ず私が先に食べる、毒味。
それから夫が食べた
気に入らない時は手をつけず
外へ食べに行かれた時もあった
ちなみにお金は全て
私が出していた
「教育が足りないんだよ」
なぜか大家族の番組を見せられ
お前は人間がなっていない
教育が足りないと
よく説教をされた
英語が話せると言っていた夫が
ABCをZまで言えないことを
知ったのは、この頃だった
こんな話はごく一部。
苦しくて辛くて
逃げ出したくて
家族や友達へ
話せる限りで相談したって
全員が 「やめろ!逃げろ!」
そう言うのは当然で
でも当時の夫の威圧感は
今でいうモラハラ。
相当なもので怖くて
言い出せず逃げ出せず
ある意味あきらめた私もいた
入籍する日が近づき
夫から実家へ帰るように
言われたことがあった
遠方から友達が
遊びに来るとのこと
でも、ふとおかしいと思って
家を見に行ったら
寝室の窓から艶やかな声が
聞こえていました
そして夫には当時
浮気相手は3人はいたようで
涙が枯れるほど泣いて
母に抱きしめられながら
あの日は疲れて眠った
しかし、後戻りできなかった
後戻りと破談する方法が
わからなかったという
今から思えば簡単なことを
どうしていいのか
答えが出なかった
私はとにかく真面目で
まっすぐだったから。
入籍までのレールを
脱線させられなくて
止まることもできなくて
夫の両親からの
結婚に向けての挨拶電話を
“出ない”という手段だけで
抵抗するしかなかった
結局、私は夫に連れ戻され
またお手伝いさんのような
生活をしながら
苦しい日々を過ごし
婚姻届の保証人の欄に
実父にも署名してもらうべく
会いに行ったけど
当然、父は喫茶店で
お店中に響き渡る声で
夫を怒鳴りまくり
「娘が結婚したいというから
仕方ないからサインするんだよ!!」
しぶしぶ署名してくれた
そんな父のことを
帰りの車の中で夫が
「何で俺がこんなに
怒鳴られていたのに
お前はちっとも俺をかばわないのか?」
『ムカついたから
ぶん殴ってやろうと思った』
そういう夫の気持ちが
これっぽっちも理解できなかったけど
私はその後入籍してしまった
亡き父へ
「お父さんの言う通りでした」
生きてる時も亡くなった今も
親は間違ったことは言わないと
何度も何度も思ったけど
とにかく歯をくいしばって
ここまでやってきたことは
少しはわかってもらえるだろう……
入籍した日、
役所から洋菓子店へ行き
クリスマスケーキを買った
夫がモラハラすぎて
ケーキの味は全く覚えていない
そして、甘い夜もなく
『結婚なんて誰としても同じだ』
バツイチの夫にそう言われ
私の結婚生活は始まった
《あとがき》
パワハラと書いた言葉を
モラハラへ変えました
当時はパワハラという言葉だけが
あったような頃でしたが
今で言うモラハラのことなので
表現を変えました