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透明人間の街

「透明人間になりたい。」

透明マントを被ったり、透明になれる薬を飲んだり。ある朝起きたらいきなり超能力に目覚めていたり、はたまた突然現れた魔法使いに魔法をかけられたり。

どんな方法であれ透明人間になりたいと、叶えようのない夢を本気で願っていた。

「だって透明人間はすごいんだよ!透明人間になれば、学校をこっそり抜け出してもバレないし、内緒で新幹線や飛行機に乗って遠いとこにも行ける。どんなことをしても透明人間なら気づかれないんだよ!」なんて幼心に母親に話していたこともあった。

周囲の景色に溶け込み、周りから認識されることなく、思うがままに行動できる。そんな透明人間の自由さに憧れていた。

けれどもそんな幼いころの大きな空想の願いごとは、大人になるにつれ、目の前の小さな現実の問題に追いやられ、いつしか見る影もなくなってしまった。

学校で友達と仲良くできるように。学校で仲間外れにならないように。変なやつだと、奇妙な人間だと蔑まれないように。普通でいることを強いられる学校生活の中では、私個人の個性など大した問題ではなく、どれだけ周りの色に溶け込めるかだけが重要だった。たとえ自らの意思と異なる意見であろうと、平穏無事に暮らすため自分の意思を覆い隠す。クラスカーストの上位にいる人たちがその個性を遺憾なく発揮するその陰で、平々凡々な人たちはそっと息を隠す。

透明人間になる代わりに、大人になって身につけた能力は、「空気を読むこと」だった。周りが笑えば自分も笑い、周りが泣けば自分も涙ぐむ。自分の色に関係なく、周りの色に合わせる。そうやって空気を読み、波風立てずに過ごすことが大事なんだと身体に染み込ませてきた。

歳を重ねたからといって自分色の筆を使う機会はなかなか来なかった。毎日毎日同じことを繰り返す日々が続いている。友人も同じような日々を繰り返す。先輩も後輩も。きっと誰もが変わり映えしない日々を過ごしている。ひどく退屈な生活ではあるものの一定の生活が保証されている以上、あえてこの社会から外れようとは思わなかった。同じことを繰り返す。自分のしたいことを抑えつける。毎日毎日。

ふとした時にいきなり大声で叫んでみたり、いきなり踊りだしてやりたい気持ちになったりするものの、そんなことをすればすぐに社会から除け者扱いされてしまう。除け者扱いまではされなくとも、周りの人からは奇異の目で見られ、異端な存在と認識されてしまう。他人と違うことをするということは、一色に塗りつぶされたキャンバスに、別の色を足すようなものだ。芸能人やアーティストのようにそれで成功する人もいるが、平凡な私がそれをしたところで成功するはずもなく、私はただただ周りと同じ色に溶け込むしかない。

白いキャンバスには白い絵の具を、黒いキャンバスには黒の絵の具を重ねる。無地の何も描かれていないキャンバスには、何も描いてはいけない。周りに合わせるように、目立たないように。そんな生き方をする私は、他人からすればいるかいないか分からない人間なのだろうか。同じ色で塗りたくられた私たちの輪郭は、いったい何で縁取られるのだろうか。私はいったい何をもって私だと認識されるのだろうか。

そしてそれは、なにも私に限った話ではないのだろう。


叶うはずがないと思っていた幼いころのあの夢は、大人になれば呆気なく叶うようで、気づけば街には「透明人間」ばかりが溢れかえっていた。

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