褒めて伸ばす。褒めるのはどこ?
息子は順調ににミニバスを楽しんでいました。若いコーチが「小学生のうちは楽しくていいんです」と良くいっていたのを思い出します。
6年生になるころ、地区の選抜チームのトライアウトに参加する推薦をもらいました。そのころから今度は主人が毒親化していくんです。
主人はバスケ経験者。ミニバスから大学まで青春のすべてをバスケにかけてきた人です。今も休日のほとんどをバスケ動画、バスケ観戦に費やし「月間バスケットボール」が愛読書です。
自分の息子が地区の選抜チームに選ばれるようにあれやこれやアドバイスし始めたんです。
「あそこまで行ったらシュートだろ!」「最後まで走り切れ」「○○君みたいにやってみろ」などなど・・・
仕事で試合が見られないときは私がビデオを撮ってきて、夜見るのが日課でした。
始めは息子も一緒に見ていたんですが主人の「ダメ出し」が多くなっていくと試合から帰ってきてすぐ自分の部屋に逃げていくようになります。
主人も「せっかく教えてやろうと思ってるのに、なんだアイツは・・・」
と益々よくない方向に・・・
これは、あの時の私だ・・・・
私「少し話せる?」
主人「いいよ。」
私「今のあなたはサッカーの時の私と同じになってるよ」
そして二人で思ってることを話し合った結果
私たち夫婦は進みたい方向は同じだと確認できました。
「息子の目標のために」
話の中で主人は自分ができなかったことを息子に期待していることもわかりました。
私は主人に息子をみていて思っていたことを伝えることにしました。
「あの子は私でもコーチでもなく、あなたに褒めてほしいのよ」
主人が息子にする「ダメ出し」の多くは息子自身もダメだったと認識しているところ。もしくはすでにコーチから指摘されているところなんです。
「あなたの言いたいことや息子のダメだった事は私が聞くからあなたは息子を褒める努力をしてほしい。」
それからは
撮ってきたビデオはまず夫婦で見ます。そこで主人が気になったダメなところを一度吐き出してもらって、今度は良かったところを探すためもう一回見ます。
で、夕食のときに「今日のあのプレー、良かったじゃん」みたいな感じの話をするようにしたんです。
本当はダメなとこだらけで(主人から見て)褒めるところなんて全然なくても絞り出すんです。
そんなことを続けるうちに帰ってきて息子も一緒にビデオをみるようになってきました。
私たちもだんだん慣れてきて褒める場所を考えるようになります。
「出来たこと」ではなく
「やろうとしたこと」をみるようにしたんです。
それは試合を重ねていくうちに求められることが多くなり、対戦するチームのレベルもあがってきて、主人に言われたことをうまくできないようになってきていたためです。
「父さんに言われたこと、できなかった・・・」「負けちゃった」
という言葉が増えてきました。
そんな時主人は「この前言ってたこと、やろうとしてたね。できてなくてもいいんだ、お前がやろうとしたことは良くわかったよ」
そういうようになっていました。
すると、息子はそのプレーに対してなぜそれを選択したのか、何がしたくてそうしたのかを自ら話し出したんです。
夕食の時間が娘も参加してミーティングとなっていきます。
褒めるとは
認める事だと私は考えます。
結果ではなく過程を認める。
出来たことよりやろうとしたこと。
それがほんの些細なことだったとしても見逃さない。
主人のサポートは変わったんです。
今、息子が試合に負けて帰ってきたら
主人はこう言うでしょう。
「大事なのは勝った負けたじゃないんだ
どう勝ってどう負けたかなんだよ・・・・・・」と。
褒めるのは「結果」ですか?
「過程」ですか?