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日記を…

いつも人の日記を読みながら、私も書いてみたいなと思いつつ続かないのが現実。人の生活って刺激がある毎日のように見えるけど、その人にとってはなんてことのない日々なんだろう。文才があると言うのか、創造力?うまく言えないけど。

そんな訳で続かないことは百も承知。開き直って書いてみることにする。

というか、書きたい気分だった。誰かに聞いて(読んで)ほしかったんだと思う。

いつも見ている某SNSで、仲良くしていた人の訃報を知った。もちろん会ったこともない人。信じられなかった。正直、顔も殆ど知らない。写真でしか知らない。私は顔写真を載せてないので向こうは私の顔も知らない。本名も知らない。でも、ほぼ毎日のように愚痴を聞いてもらったり聞いたり。顔や名前を知らないからお互い本音で話せてたと思う。傷つけたこともあっただろう。でも、何気ないつぶやきでその人の性格を勝手に読み取って想像して勝手に頼り色んなことを話した。

その人がもういない。

未だに信じられなくて、誰にも話せずにいた。SNS上での付き合いで顔も名前も知らない人でしょう?なんて言われるのが怖かったのかもしれない。そんな言葉で片付けられるのが嫌だったのかもしれない。私たちはそんな仲ではなかったから。仕事の合間にそのことを知り、しばらく何もできなかった。

友達が亡くなったんです。

そんなことを言えば、おばさん連中はいくつで亡くなったの?原因は何?だの根掘り葉掘り聞いてくるのが目に見えている。人は死因と何才で亡くなったのかをやたら知りたがる。いや、みんな死が怖いから仕方がないけど、あのお決まりな会話が私は苦手だ。母が亡くなった時にこれでもかというくらい聞かれ、答えるのが辛かったから聞かないことにしている。でも、人は聞いてくる。だから、黙って仕事した。黙ってると色々なことを思い出し泣きそうになる。でも、顔も知らないんだ、そう思うと少し気が紛れた。

その人は鬱病だった。

死因は聞いてないけど、もしかすると自死だったのかもしれない。大切な人たちを残して、そこまで追い詰めるみえない何か。少しわかる気がした。でも、死ぬのはダメだ。いや、自死じゃないかもしれない。そんなことを自問自答しながら帰宅した。すごく疲れていた。手抜きの晩ごはんは味がわからなかった。同居人に話そうか迷ったけど、なんか話す気になれなくて、いつも通りニコニコしながら味のないごはんを食べた。お笑い番組をみて無理やり笑った。


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