私の考える「クラフトビール」とは?
札幌の Beer+MaltWhisky バー「Maltheads」(モルトヘッズ)です。
「クラフトビール」という言葉について考える連載、第3回です。今回が自らの意見が一番入っているという意味で「メイン」です。
まずはJBAの定義で十分だが気を付ける点もある
前回、「クラフトビールの定義」についての過去を追いかけ、定義の必要性を確認し、最後に「自身の中での確認作業は有意義である」とまで述べました。
ではお前はどう考えるのか?
まずは、前回で触れた「JBAの定義で十分」とシンプルに考えます。
キリン、サッポロ、アサヒ、サントリー、オリオンの「大手5社」に加えて、生産量が定義の基準を超えた「ヤッホー」を除くブルワリーのビール、以外がクラフトビールです。
「よなよなエール」や「僕ビール、君ビール。」はクラフトビールじゃないの?と言われれば、「統計的にはもうそうではない」と答えます。生産量の問題だけではなく、キリンとの提携で「独立性」にも抵触します。
「統計的クラフトビール」の定義は必要なものです。クラフトビールの全国シェアは1%にすぎません。その1%の詳細を分析するときに「大手メーカー」の数値を含めると、情報の質が落ちてしまうからです。正確な統計を取ることによって、業界の発展があり、ひいては「ブームから文化へ」ということに繋がると思います。
ただし、これを一般論で厳密に運用しすぎると窮屈すぎる考え方となってしまいます。ここに拘り過ぎると、いつまで経ってもクラフトビールは「1%シェア」から広がらない「マニアの物」に留まってしまう危険性もあるので気を付けなければなりません。
「統計的定義」については、その重要性を認識したうえで、常に多くの人が議論して見直していく必要があると思います。
模範の方も定義が揺らいでいる
第2回でも触れた藤原氏の記事にこのような記述があります。
https://www.jbja.jp/archives/3522
これは今(2021年)でも同じ状況です。アメリカでは、「ボストンビール」つまり「サミュエルアダムス」のブルワリーの生産量が定義を左右しています(上記引用部の製造量の数字が大きくなっています)。もうサミュエルアダムスには引きずられなくてもいいんじゃない?という意見も聞きます。
http://www.beer365.net/brews/view/000285
あるいは逆に、小規模醸造所が大手との提携/買収で定義から外れる、ヤッホーと同じパターンもたくさんあります。(あなたが飲んでいるそのアメリカのクラフトビール、本当に「クラフト」ですか?)
こうした面があるアメリカの定義を模範として、日本の定義が決まっています。こちらの面からも「定義」は柔軟に変えて運用していく必要があると思います。
クラフトビール=記名性のあるビール
ここまではハードな「統計的定義」のお話です。その一方で、ソフトな面つまり「感情的クラフトビール」の定義もあります。それについて筆者の意見を。
それは「記名性のあるビール」です。「匿名」の対義語としての「記名」です。
「どこそこブルワリーのだれだれさんが造ったビール」は狭義です。広義として、たとえ名前がわからなくても「造った人の<顔>が見える」ビールまで含めます。
「9割の人がまずいと言わない、顔の見えないビール」(*)はさすがに「クラフトビール」とは言いたくありません。「必ずしも万人向けではないが、一人でも多くの人が美味しいと感動してくれるように造ったビール」こそが「クラフト」の名にふさわしいのではないでしょうか。
つまり、誰が造ったかわからない(あるいは誰が造っても代り映えのしない)匿名性のものではなく「記名性がある」ビールです。
この定義を当てはめると、(前半の「統計的定義」で述べたことと矛盾しているように見えるかもしれませんが、)「よなよなエール」はクラフトビールとなります。むしろそういう風に言う方が、直感的ではないでしょうか。
敷衍すると、「アサヒ・スタウト」も「ピルスナー・ウルケル」も、この感情的定義では「クラフトビール」と言ってもいいのだと思います。特定の個人によるビールではありませんが、歴史や土地が生んだ味を脈々と受け継ぐビールだからです。
https://www.asahibeer.co.jp/products/beer/stout/
https://www.pilsnerurquell.com/ja/
繰り返しますが「記名性」は特定の個人名を指すものではなく、匿名性の対義であり「<顔>が見える」ことです。そもそも特定の個人に寄りかかってしまうものでは、ブルワリーも世代交代ができなくなり、「伝統」に繋がっていきません。
また、筆者にとってはサッポロビールの「SORACHI1984」もクラフトビールとなります。ビールデザインをした新井さんも、ホップをアメリカに広めた糸賀さんもよく知っているからです。
https://www.sapporobeer.jp/sorachi1984/
もちろん「知り合いが造ったからクラフトビール」ではありません。そもそも、すべてのマイクロブルワリーのブルワーを知る由などありません。
それでも、造った人の思想・人柄がビールの味に現れることは、20年以上クラフトビールを飲んできてことあるごとに体験してきました。造った人をまったく知らなくても、「味」にはその人や性格、あるいは土地や地域性(ローカル性)が現れます。そういうビールをこそ記名性があるビール=「クラフトビール」と呼びたいです。
感情的定義は最終的には消滅する
結局は「経験値」が「クラフトビール」の範囲を広げるのです。造った人や造られた背景を知れば知るほど、「クラフトビール」の範囲は広がります。そして、最終的には「ビール全体」と重なってしまいます。
こうなった時、「クラフトビール」という定義づけ(「感情的」の方)に意味はなくなります。
つまり、感情的に「クラフトビール」という言葉に拘る必要は、究極的にはない、と言うのが筆者の意見です。
そこに至るまでの「過程」は大事です。それは、筆者にとっては「記名性」だったのですが、もちろん個人個人で違うはずです。その過程は忘れないようにしたいものです。
登った梯子は、登った後は打ち捨てられるべきなのですが、どういう梯子を登ってきたかとか、その途中の景色のことは覚えておきたいです。それこそが美味しいビールを飲む楽しみだからです。
「クラフトビールだから」「クラフトビールじゃないから」という分類は最終的にナンセンスになります。そんなことを考えている暇があるなら(*)、手当たり次第に様々なビールを体験しましょう。
おまけ:「クラフトビールのお店」と言われることについて
「サッポロクラフトビアフォレスト」というイベントをやっているせいか、Maltheads は「クラフトビールのお店」とよく言われます。
http://www.sapporo-craft-beer-forest.com/staff/maltheads/
この記事の結論とは矛盾しません。もう当店は「クラフトビールのお店」とは自称していないからです。国名・ブランド・規模の大小に関係なく、単に美味しいビールを提供するビール専門店なのです。