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飛騨高山蒸留所 探訪記

僕は「まだ形のないもの」を応援しようと思っている。

今年の1月下旬のこと、北陸の酒屋の社長さんから連絡があった。飛騨高山に新しい蒸留所ができるとのこと。なので一緒に見学に行きましょうと。もちろん僕は快諾した。

蒸留所の名は「飛騨高山蒸留所」。話を聴けば面白い。建設予定地は15年ほど前に廃校となったダムのほとりの小学校の跡地。

2回目の訪問時 快晴

2月の中頃の大雪の中、蒸留所建設予定地を訪ねた。ダムのほとりの廃校となった小学校。そこは15年も時間の止まった場所だ。僕らは誰だって学校に通ったたことがあるはずだ。校舎、職員室、教室、体育館。そう聞いただけで、誰もが思い出す何かがあるだろう。廊下を歩きながら、自分の思い出と重ね合わせた。

胸が熱くなる

教室の黒板には最後にここを去った子供たちの思いが、今でも寄せ書きの形で残されている。ありがとうという感謝の気持ち。自分の学校を誇らしく思う言葉。それらを目の当たりにして、僕は立ち止まり胸が熱くなった。

人影のない廊下

何より切ないのは、その場所に子供たちの声が聞こえないこと。

そこはまだ、空っぽの学校だ。

15年時間の止まった体育館

形になっていないものを応援したいなら、人に会うしかない。

蒸留所予定地見学を案内して下さったのは、舩坂酒造店代表取締役の有巣弘城さん。好奇心旺盛でフットワークの軽い若きリーダーとお見受けした。話を聴けばウイスキーの魅力に何かを感じ、それでもなおウイスキーに対して謙虚だ。長く酒造りに関わってきた方として当然の態度だろう。

舩坂酒造店について簡単に説明をしておきたい。高山の「古い街並み」にある造り酒屋さん。岐阜県といえば白川郷が有名だが、高山市内の「古い街並み」も観光スポットのひとつ。その街並みを歩けば、かつてこの場所は頻繁な商人の往来があった街だったことが窺える。

高山 古い街並み

舩坂酒造店には200年以上の歴史がある。有巣さんご自身は岐阜県高山市で長く飲食業・旅館業を営む家に生まれた。その会社は順調にその事業規模を拡大し、2009年に舩坂酒造店の事業承継を引き受け、以来日本酒の製造・販売の規模も拡大させ舩坂酒造店の事業再生に道筋をつけた。

有巣さんが家業を継いで代表取締役となったのが2015年。ここから先は僕の想像でしかないが、足場を固めるのにある程度の時間をかけただろうが、その後は次の「何かワクワクするもの」を探していたのではないだろうか?

笑顔の印象的な方だ。喋る時も笑顔。少し遠い目をして未来を語る時も笑顔。そんな姿に意志の強さと優しさを感じた。それも彼の魅力のうちのひとつだろう。

対照的にウイスキーに対する謙虚さもまた印象的だった。飛騨高山蒸留所のウイスキー造りはまだ始まっていない。知らないという自覚はどんな人にも必要だろう。ウイスキーは情熱だけで造られるものではない。しかし、ウイスキーの魅力に気付いた彼らが来年の春、ウイスキーを造り始める。

これまでも興味の対象に向かって進んで来た人なのだろう。今回も知見のある者の話を聴き、協力者を探し出し受け入れ、パズルのピースを手に入れ組み立てて来たはずだ。

何かに期待をして待つという行為には知的な想像力が必要だ。有巣さんにはそれがあると感じた。あと1年をかけて、足りないピースを丁寧に手に入れて行くだろう。

いくつかの大きな困難があったことはここには記せないが、来年の春には蒸留所は完成している。もちろん、設備のすべてが整っても完成ではない。日々の仕込みという終わらない日常の始まり。

しかし、僕の思うところ、有巣さんの深い部分にある動機の一つは「高山の地に、そこに暮らす、未来を担う子どもたちのために、誇らしいものを残したい」ということではないかと思っている。

さて、日本酒の「事業再生」に成功した有巣さんが、新しいチャレンジを始めようとしている。その意図はウイスキー事業への参入だけに止まらないと僕は感じた。他にも動機があるなら、それはアフター・コロナの地方再生の象徴としての「学校再建」ではあるまいか。

蒸留器はこの場所に

そう、僕らはウイスキーの周りに集まる。
そして、飛騨高山蒸留所は僕らの学舎となるかもしれない。
子供たちの声が聞こえなくなった学校に、笑顔が集まることを願ってやまない。


飛騨高山蒸留所のクラウドファンディングはこちらhttps://www.makuake.com/project/whisky-hida/

蒸留所の背景について詳しく書かれているので是非ご一読を。


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