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信頼の証
私は鳥さんのおちりが大好きなので、おちりばかり見ている。そのせいか、野鳥の名前がさっぱり覚えられない。
と言って、おちりだけで特定出来るほど、おちりに鳥種ごとの特徴が凝縮されている訳ではないので、やはり名前が分からない。
おちりでズバリ名前を言い当てる特技でもあれば、おへんたい愛鳥家の名を欲しいままにすることも可能ではあるが、今のところ、きみちゃんのおちりを愛でるので精一杯なので、余計な野望を抱いてはいない。
では、なぜおちりが好きなのか。…なぜだろう。分からないや。いいか、可愛いんだから。
我が家のきみちゃん、もちろんもふもふで、大変良きおちりの持ち主であるが、実は自身では「お顔の方が可愛い」と自任しているらしい。
確かにそうだろう。きみちゃんのお顔は可愛い。お顔と言わず、全て可愛い。抜けた羽根の1枚1枚まで可愛い。はがれ落ちたクチバシの破片すら可愛い。
しかしそれでもかいぬしは、あえておちりを推している。おちりが可愛い。おちりが好きだ。
遥か遠い木の上や、電線の上にいる野鳥さんのおちりを見ることは容易だが、近くで見ようとすると逃げられる。人に慣れた土鳩でさえ、おちりを撮ろうと背後からカメラを構えて近寄ると逃げて行く。
なぜだ、だたおちりを撮りたいだけなのに。
鳥に限らず、動物たちは、「背後から」「頭上から」を嫌うものだ。日々命がけで生きているかれらにとっては至極当然のことで、飼い鳥たちも本能に従えば、当然、逃げてゆく。
しかし飼い鳥に限って言えば、その本能をさておき、存分におちりを見たり撮ったり嗅いだりすることが可能になる場合がある。
時間をかけて、鳥さんとかいぬしの間に十分に信頼関係が築かれていれば、おちりを撮ったり、あまつさえおちりに鼻を突っ込んで深呼吸することすら出来る。
鳥さん自身の性格もあるし、人間の性格や生活スタイルも考慮すると、それは言うほど簡単なことではない。
それでも少しずつ、時間をかけてじっくりと積み上げていく信頼貯金…そう、おちりを見たり撮ったり嗅いだり出来るのは、ひとえに鳥さんのかいぬしに対する信頼の証なのだ。
そう思うと、惜しみなくもふもふのおちりを向けてくれることが、いっそう愛おしく思われる。
だから、おちりが大好きなのかもしれない。