#誰かの役に立てたこと

私が高校生の頃、祖母と母と私の3人で暮らしていました。
祖母が病気を患い、自宅で寝たきりとなりました。
私は、仕事と祖母の介護に追われている母の姿を横目で見ているだけでした。

母が仕事で留守にしていたある日、私の携帯に祖母から電話がかかってきました。
「おしっこを漏らしてしまったので来てほしい。」と

すぐに祖母の部屋へ行きオムツを替えようとしましたが止められてしまいました。
体の下にタオルを敷くだけでいいと言うのです。

母が帰ってくるまでまだまだ時間があります。
そのままでは不快だろうと再度オムツを替えるか聞きましたが断られてしまいました。
きっと恥ずかしさや、孫に頼りたくないという気持ちがあるのだろうとその時はタオルを敷くだけにしました。

それから数か月後、祖母は帰らぬ人となりました。

祖母が亡くなって数年後、
母と2人で祖母の思い出話をしていると
「ばあちゃん、〇〇(私)がオムツを替えてくれたって嬉しそうに話してたよ」
と母が言うのです。

私は祖母のオムツを替えた記憶がありません。
思い当たるのはタオルを敷いただけのあの日のことです。

きっと祖母の中で記憶が変わってしまったのでしょう。
嬉しそうに話す祖母の姿を想像すると申し訳なさと後悔が押し寄せてきました。

あの時、オムツを替えればよかった。
もっと寄り添えばよかった。
もっと母を手助けすればよかった。
何か役に立つよう動けばよかった。

母に正直に話すと
「でも、記憶が違っても本人にとっては嬉しい思い出なんだからいいんだよ」
とあっけらかんと笑っていました。

そうなのか…

"祖母に呼ばれて駆けつけた孫の姿"
それが祖母にとっては記憶に残る程嬉しい出来事だったのか。

誰が見ても私は何1つ役に立っていないけど、祖母の記憶には1ついい思い出となって残されたんだ。

そうは言ってもやはり、申し訳なさと後悔は消えません。
けれど、少し嬉しくもあります。

祖母の記憶の変換によるものではあるけれど、旅立つ前にいい思い出が1つ増えた。その思い出作りのきっかけ位にはなれたのかもしれない。

それが私の#誰かの役に立てたこと。

楽しいゲーム、楽しい絵を作っていきたいです。