今の私があるのは
noteの企画に参加してみる。
私は数年前、結婚を控えていた。
同じ部署の14歳年下の男性から熱烈にアプローチされ、自分も年齢的に(当時44歳だ)結婚のチャンスはこれが最後だな、と思い、トントン拍子で段取りが進んでいった。
結婚なんて諦めていただろう両親は、すごく喜んでくれた。今でもその時の事を思い出すと、涙が溢れてくる。
付き合い始めたのは確か11月だったがすぐに双方の両親への挨拶が済み、年明け早々に両家の顔合わせをすることになっていた。年内には式場も決め、結婚指輪も調達していた。
思えばあの時、病院とは無縁だった父が緊急入院・手術をすることになったのは、何かのお告げだったのだろうとしか思えない。
父は威厳を大事にする人なので、入院先には絶対に来るなと言われていたので見舞いには行っていない。弱った姿を子供に見せたくないのだ。だから母親経由でお守りを渡してもらった。
これのせいで顔合わせは4月1日に延期となった。
その前に、私は年齢的にも子供を持つことは難しいだろう、その意志もないことを彼に伝え、彼も賛成してくれていた。そして彼の両親も承諾してくれていた、はずだった。彼は長男ではあったが。
そして4月1日の顔合わせ、銀座のとある割烹料理屋である。
先方の意向で家族全員の顔合わせにすることになった。先方は妹、こちらは弟を同席させた。
席の開始から彼は硬い顔をしていた。私も緊張はしていた。
でも彼の硬い顔の理由は緊張ではなかった。
和やかに会合が進んでいたかのように思えたが、途中、彼の母親が突然こう言った。
「長男の嫁になろう人が子供を産まないなんて、親戚に顔向けできない。この子は◯◯家の4代目なのに」
一瞬、何を言っているのかわからなかった。その後も彼女のヒステリックな叫びは続く。
「私が嫁に入る時は、私が理想としたようなプロポーズはなかった。本当は~~~(何を言っていたか忘れた)なのに、それでも文句も言わず姑の言うことを聞いてここまできた。あなたなんかこんな歳になるまで好き勝手生きてきて、子供まで産まないなんて~~~(何を言っていたか忘れた)」
段々と、自分の事を言われているんだ、と気付き始めた。それでもどこか、現実として受け止められなかった。
それでも会は普通に終わり、店の前で双方の家族は分かれた。彼も一度実家に戻ってから、夜に私の家に帰る、とのことで解散した。
うちの家族も恐らく私と同じように「何が起こったのか」よくわかっていなかったと思う。私の家族は銀座三越の地下でお弁当を買って帰っていった。
その夜、私の家に戻ってきた彼から「うちの家族があぁ言うので結婚は出来ない」と告げられた。
翌日彼は家を出ていった。
当時最も突き刺さったのは彼の母親に言われた
「こんな歳になるまで好き勝手生きてきて」
だった。
確かに私は一人もんであることを良いことに、年中海外旅行に行ったり語学を学んだりヨガを習ったり…していた。
それって、いけないことなんだ。そうしていると、結婚できないんだ。
とにかく自分を責めた。責めまくった。何より家族に申し訳なかった。
破談になったことを両親に告げる電話をした時に、普段は優しいことなんか言わない父が、いつでも自信満々だった父が「お前のせいじゃない。謝ることなんかない」「俺の育て方がいけなかったのか」と言っていたことが、本当に悲しかった。
それからは生きているのが地獄の日々だった。なんせ相手は同じ部署の、同じ仕事をする同僚なのだから。
会社で毎日顔を合わせ、なんなら一緒に作業もしないといけない。彼の態度は豹変し、意味もなく私に攻撃的になった。
幸い、結婚しようとしていたことを知っている人は社内ではごく僅かだった。その人たちは私の味方になってくれたことが救いだった。でも仕事はしんどかった。
どうして私は今日も明日もこの世に存在し続けなければいけないのか。たった一人で。その虚しさは、何をしてもどこへ行っても満たされることはなかった。
けれど死のうとはしなかった。周囲の人のことを考えると出来なかった。だから辛かった。消えることも出来ない。
そんな中。
遅くまで残業していたあの日。確か22時近かった。
部署にはあの憎き彼と、その春入社してきた新入社員と、私の3人が残っていた。新入社員をAさんとしよう。
Aさんが自席で突然泣き出した。私は彼の目も気にしつつ、Aさんを執務室外に連れて行き、話を聞いた。
入社したはいいけれど、全然仕事が出来ない、先輩たちに申し訳ない、とAさんは言った。
私もその頃、いろんな人から慰められていた。けれど中には一般論だったり「そんなことわかってるよ!出来ないから苦しいんじゃん!!!」と思うこともよくあった。
だから私は彼女の話を聴く時に「どう言ったら傷つかないか」ということに頭をフル回転させて接した。
その日の夜だったか翌日だったか、Aさんからメッセージを受け取った。
「会社でこんなに話を聞いてくれる人がいるなんて思わなかったです。もっと早く相談すれば良かった」
これを読んで私は目が醒めた。
自分の存在意義も感じた。
そしてこの先、誰かの話を聴く時は、自分の経験だけではだめだということも同時に思った。
では勉強をしよう。
そしてすぐに「NLPプラクティショナー」という資格を得るための教室に通うようになった。
自分と同じ思いをする人を出さないように。
Aさんのように寂しい思いを抱える人を出さないように。
その一心だった。
プログラマやエンジニアとしては若い人にはもう敵わない。だったら私は、私だから出来ることをしよう。そのために資格を取る。
少し経った頃、ある方に言われた。自分は弱い人間だと思っていたのだが
「普通、そんな経験したら死んだっていいはずですよ。でもあなたは死ぬんじゃなくて勉強しようと思ったんですね。それって強い人間の選択ですよ」
そうなのか…とぼんやりとしか思わなかったが、死ななくて良かった。結婚しなくて良かった。
あの時、Aさんの話を聞いて「勉強しなくては」と思ったから、今は情報システム部の「保健室の先生(おばちゃん)」になれた。
私の今の仕事は会社から与えられたのではなく、自ら部長に「やらせて欲しい」とお願いして得たものである。
いろんな人から相談を受ける。他愛もない話もする。何気ない会話は種蒔きのひと時だ。
いざとなった時に誰に伝えたら良いかわからない気持ちを打ち明けてくれる。より良い方向へ向かうためのサポートができる。
部の離職率は下がっているとのことだ。
部長が "私のお陰で" と言ってくれたことが救いだ。