秋にさくら ももこの話。
さくらももこ先生のエッセイを紹介するシリーズ。
今回は・・あー、爪が長いとキーボードが打ちにくい・・
「面白そう、読んでみたい」と思ってもらう事を目標にしています。
では、どうぞ。
「ももこの話」
あのころ まる子だった ももこの話。
三部作のラストを飾るはこちら。
この三作、表紙にも統一性があって眺めるのも嬉しい。
なんとさくら先生謹製の砂絵だ。とっても可愛い。
「食欲のない子供」
食欲のあまりない子供だったまる子。
朝食の時点でもう食べる気がしない。寝起きからいきなり食べろと言われても。いつもギリギリまで寝ていたし。呑気に食べてる場合じゃないと思っていた。
母親は一日のエネルギーが出ないだの何だので怒りながら食事を用意する。だが半分くらいは残した。そのたびに「アフリカのナイジェリアの子供たちは食べるものが無い」という話をする。様子を見てきた訳でも無いのに。その後は戦争中に食べ物が無かった話になる。
ナイジェリアと戦争中の話が終わると、まる子の食べ残しを平らげるのである。「もう、あんたが残すからわたしゃこうやって食べちゃって太るんだよっ」とデブになる責任をまる子に転嫁してくるのだ。別に代わりに食べてくれなんて言ってないのに。どこにその量が入っていくのか不思議だった。
給食のパン2枚も多く感じて、1枚は家に持ち帰った。残したパンは母親が食べる。夕食も食欲が無い。だって遊んで帰る途中にお菓子やアイスを買って食べたりしていたから。
母親は八百屋の店番をしながらも、合間を縫って色々な料理を作ってくれていた。冷凍食品やインスタントで済ますなんて事が無かった。その苦労も分からずまる子はご飯を残す。母親は朝食の時のように文句を言いながら「毎日苦労して作ってるのに、残すなんて悲しくなっちゃうよ」と悲しみを吐露しながら着実に体重を増やしていた。
この話を読めば、きっとマカロニグラタンが食べたくなる。
「風呂で歌をうたう」
よく父ヒロシと風呂に入っていたまる子。風呂に入る度に流行歌を教えてくれと頼まれ、仕方なく教えていた。歌うの苦手なのに。
まず記憶に残るは中条きよしの『うそ』という曲。子供心に「折れたタバコの吸い殻くらいで他に女が出来たなんてバレたりするもんかね」と思った。大人になっても分からないだろうそんなの。普段から「嘘を吐く時についついタバコを折るんだぜ」とか言ってなければ。父ヒロシに聞いてみたって分からない。「さあ」と首をかしげるだけ。
折れたタバコはもういいから。まる子はヒロシに『うそ』を教える。正しく教えなければ、友人や親戚の集まりで酒を飲んだ時に「ももこに教えてもらったんだ」などと自慢して大声で歌うだろうから。正しく教えないと自分が恥をかくから。
歌の1節目からもうグダグダ。覚える気があるのかこの父ヒロシは。
中条きよしの『うそ』、殿さまキングスの『なみだの操』、都はるみの『北の宿から』、ちあきなおみの『喝采』・・昭和を彩る名曲たちが、父ヒロシの手によってトンチキに生まれ変わるその様を見よ。
「いしやきいも」
実家が八百屋だったから、いしやきいもなんて滅多に買ってもらえなかったまる子。やきいも屋の声が聞こえてくる度に親に頼むけど「わざわざ買わなくてもうちで売ってるいもを焼いて食べれば同じ」と聞いてくれない。
悲しかった。自宅で焼いたいもと、やきいも屋から買ったいもじゃ全然違うのだ。
まず、気分から違う。屋台を追いかけながら「おじさん待ってーっ」と叫び屋台を止める。自分のために店一軒が移動を止めてくれるのだ。嬉しい。目の前でおじさんが熱い箱の中から焼きたてのいもを軍手をした手で取り出す。それを小さな天秤に乗せて重さを計り「ちょっと多いけどおまけしてあげるよ」と言いながら新聞紙にくるんだいもを手渡してくれるあの気分。
屋台についている小さな煙突からいい匂いの煙が出続け、本体のお尻の方には火の燃える赤色がチラチラ見えて温かさが伝わってくる。新聞紙にくるまれたやきいもを家に持って帰るまでの、紙といもの匂いが混じった香りも、いもの熱が新聞紙を介して掌に心地良く伝わってくる感じもオツなのだ。
気分の時点でもこれだけ味わい深いのに、味も全く違うのだ。ふくよかな香り、ねっとりとした甘み、ほっこりした歯ごたえ、自宅で焼いたいもはかなわない。どうせ喉に詰まらせるならやきいも屋で買ったいもが良い。
こんなに違うのに。だから買って欲しいのに。そしてやきいも絡みで親を最も困らせたのは、五歳の時であった・・。
「バレンタインデーのこと」
バレンタインデー?何それ。チョコなんて自分で食うもんさ。
「おとうさんのタバコ」
大の愛煙家であったさくらももこ先生。昼間から夕方まで仕事をしている間もずっと、夜眠る直前までタバコを吸っていた。21歳の時から吸っているが、一度も止めようと思った事は無い。
タバコは「百害あって一利なし」などと酷い言われ方をしているが、その言われ方は心外だ。こっちは一利も二利もあるから好んで吸っている。
例えば、どんなにカンカンに怒っていてもタバコを吸えばホッとした気持ちになる。手持ち無沙汰な時も、タバコを吸う事でカッコ良く間を持たせてくれる。タバコの煙を見るのが好きだ。電燈の下で煙がゆっくり白く揺れながら立ちのぼってゆく姿は美しい。「見る価値のある煙」なのだ。
・・・この後もタバコを褒めちぎるさくら先生の語りが見られるのだがここで止めておく。やっぱり「百害あって一利なし」だから。ご自分で証明されてしまったから・・健康になんて良い訳無かったんだ。ニコチンに囚われて生きるなんて、健康な人間のする事じゃないよ。
ヒロシのタバコについてのエピソードであるのに、あのさくら先生がヘビースモーカーだったのかという衝撃の方がでかい話。うん・・。
「紙しばい屋」
紙しばい屋ではかなり浪費したまる子。紙しばい屋を見かけたら手持ちのお金を全部注ぎ込むレベル。紙しばい屋=全財産だった。
ここで言う紙しばい屋とは、自転車に駄菓子をいっぱい積んだついでに紙しばいも積み、子供が集まる公園や神社に不定期に現れ、紙しばいで人を集めたあと駄菓子やクジなどを売りさばく商売の事である。大抵は50代後半から60代くらいのおじさんがやっていた。たまに同じくらいのおばさんがやっていたが、まず若い人の職業では無かったようだ。ベルを鳴らして自分が来た、と合図する。
とにかく駄菓子が食べたくなる話。当時の子供になって、おじさんから買った駄菓子を片手に紙しばいを楽しみ、クジや型抜きもやり、正解すると水あめがもらえる紙しばいクイズにも参加したい。その時の空気を駄菓子の匂いと共に感じられる一本。駄菓子の描写が本当に美味しそうで・・。
この本で一番好きな話を挙げよと言われたら断然この話を推す。必見。
「春の小川の思い出」
子供の頃から一緒に趣味に奔走していたたまちゃんとの思い出。中学を卒業してもメダカに夢中の二人。雨上がりの巴川で一緒に見た虹。「夢に向かって進む」という二人の最後のブーム・・道は違えど志はずっと一緒なのだ。
秋の夜長、読書の秋のお供に。
さくらももこのエッセイを。
秋じゃなくてもオールシーズン楽しめる。完全保証。
ありがとうございました。
最後にスタンプも宣伝させて下さい・・。