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地球はこんなに美しかったのか!

(5)月子さんとノブちゃんへ
 
 疲れていたのか、荷物が見つかってほっとしたのか、鉄製でかなり堅いにもかかわらず、ベンチの上でもぐっすりと眠れました。目が覚めると辺りはすでに明るく、柔らかい朝日が新鮮でした。空港のトイレで歯を磨き、顔を洗いました。

 さて、これからどこへ行こう。

 空港の旅行案内カウンターで無料の地図を見つけました。マヨルカ島は四角形を斜めにしたような形をしていて、地図にはいくつものの名が書かれています。空港はパルマ・デ・マヨルカというこの島最大の都市にあります。もう都会はうんざり、海辺の田舎か、小さな港にでも行きたいのですが、実際どこに赴いていいやら。


レストランのテーブルマットになるマヨルカの地図


 スマホを使って検索しようかと思いましたが、東京ではいつもスマホばかり覗いている仕事人間だったので、ここに来てまでスマホに頼りたくはありませなんでした。

 いわばデジタルデトックスをしたい、アナログ人間たる素の自分に戻りたかったのです。本当の自分に。一応、何かがあった場合に備えてスマホは持ってきましたが、ノートPCもタブレットも自宅に置いてきました。

 バスの停留所には黄色のバスが数台停まっていました。いつ出発するやら、日本と違って時刻表もなく、運転手らしいオジサンが他の運転手と何やら身振り手振りで話しています。ほどなくおしゃべりが終わると、一人の運転手がタバコを投げ捨て、バスに乗り込みエンジンをかけました。どうやら出発のようです。自分はいそいでバスに飛び乗りました。

 トコトコと走り出したバスがハイウェイに入るとスピードを加速し、坂を上りきると、そこからはパルマの街が一望できました。港には白い船が停泊していて、港から丘へと向かう緩やかな斜面に街が広がり連なっています。中世ヨーロッパの面影を残す美しい街並みと白い建物が柔らかい朝日に照らされていて、思わず美しいなとため息が漏れました。初めて見るヨーロッパの風景、初めて感じる地中海の海の青さ。その瞬間、日本からヨーロッパというまったく違う文化圏にはるばる来たんだなと興奮しました。さらにその瞬間、何十年もサラリーマンだった自分がなんの肩書きもない一人の人間に戻れたのだという気持ちでいっぱいになり、それは言葉にはできないほど潔い心地よさでした。

 

マヨルカ島に点在する風車。実際は機能していないようだ。

 街に高層ビルが立ち並んでいないことに感動しました。これは日本から来た旅行者には新鮮な驚きです。建物が一定の高さに保たれ、日本のように急に異質なビルがそびえ立つということがないのです。建物の高さも色も統一され、何百年も変わらないときの流れが伝わって来ます。

 バスはさらにスピードを加速し、どこかへ向かって高速道路を走り抜けて行きます。バスの窓から見渡せるのは、初めて目にする美しい地中海の風景です――辺り一面が赤土の畑、そこに赤く焼けたアーモンド色のレンガ造りの家々、ヤシの木々、緑のオリーブやアーモンドの木々、トゲが鋭いサボテン、壊れた風車小屋、崩れたレンガの壁などが点在しています。遠くに見えるのは岩肌をあらわにした山脈、それ以外は空と雲です。東京では鉄筋コンクリートの超高層ビルが天に向かって伸び、まるでビル群が巨大都市を支配しているようでしたが、ここは空が広く高く、天空が地上を支配しているようです。

 マヨルカ島では、空はどこまでも高く透き通っていて、まさに地中海の青としか表現できない独特の色です。どこまでも透明で、あらゆる青が混在しています。地平線の青は薄く、天に向かって高くなればなるほど青が濃くなります。日本では見られない青です。
 その輝く青の上空に流れているのが白い雲。あらゆる形が飛び交い、海風に身を任せ、東へ、西へ、南へ、北へ、風の吹くままに、ときには地面に大きな影を落としながら飛び去っていきます。
 

空が高く、雲が話しかけてくる

 こんな雲を見たのは何十年ぶりでしょうか。

 小学生以来かもしれない。中学校に入る際、父親が東京に転勤になり、それ以降というもの高層ビル群の谷間で暮らしてきました。空を見上げ、じっと見つめることなどありませんでした。
 地球はこんなに美しかったのです。

 また、メールします。
(続く)

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