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依存されてると思ったら必要とされてることに依存してたと気づいた。#11

こんばんは、マリエです。

皆さんは、自分の転機はいつでしたか?

わたしは間違いなく、17歳の頃でした。

今思うとあの頃の自分は、異常なくらいアグレッシブルでたくさんの人に出会い、喜怒哀楽をぎゅっと詰めたような体験を沢山しました。

当時、高校を辞めて外国人がほとんど働いてるようなグローバルな環境で働き始めて、留学資金貯めたり、バックパッカーしたり、ポジティブな出会いが沢山ありました。

それと同時に地元には波瀾万丈な友人が多く、パニック障害など精神疾患を抱えてる子が10代の時からいた為、話を聞くのは、今思えば小学生くらいの時からしていたような気がします。

なので、場を明るくさせながら彼女たちに寄り添って話を聞くのは、生まれながらの性分みたいな所があったのですが、陰陽の間反対の人との出会いが重なり、疲弊してきている自分に気づいて、友人の話を聞くたびに罪悪感が湧いていました。

ある時、ふとコレはお互いのためになってるのかな?という疑問が浮かんで、仕事帰りの電車にユラユラと乗りながら考えていると、彼女が私に依存してるんじゃなくて、必要とされてることにわたしが依存しているんだと気づいたのです。

その瞬間、わたしの意識する方向性が変わり、家に置いてある一つの本が目につきました。

題名は覚えてないのですが、ペラペラとめくっていくと、心配は相手のためになるとは限らないというような内容の本でした。

心配する時のテンションとは大概が相手にネガティブ気を送ってしまう。

心配なの、本当に心配なのというネガティブなオーラより、あなたなら大丈夫!と相手が成功するイメージをして応援する方がいいというような事が書いてあり、その言葉が頭の中にガツンときました。

特に10代の頃から外国人と一緒に働くような環境下だったので、一緒に心配するより信じて応援するという行為に実際、励まされたこと何度もあります。

当時は、友人の話で毎回疲れ切った自分がいながらも、どこかで頼られていることに安心感を感じていたのです。

存在意義は人から与えられるモノではなく自分で気づく事だと今になっては分かるのですが、依存関係にある時には気づきにくいモノです。

また人間関係も前の記事で話したように鏡のように似た人が集まってきます。

自分が変わる行動をしたことある人は、意識と行動を重なれば簡単に変えられるという経験を持っている人が多く、またそういう人は大概本当に人生を変えていきます。

ある人は人生は工夫次第と言ってましたが、本当にその通りだと思います。

昔、小学生の頃ワンピースの漫画読んでいた時に、ブックカバーの前袖の作者の一言に

「人生は思うようにならないと思ってる人が思うようにならなかった場合、それは人生が思うようになっている」

と書いてあったのが小学生ながらに覚えていて、今でも自分の軸になっています。

そういう題名が覚えていない本の一行や、つり革の言葉や漫画の袖の文章とか、何気ない言葉が頭の中にガツンと入ってきて、自分の人生のエネルギーになる事ってたくさんあって、

その自分の必要な言葉に気づいて、意識して変えていくかは自分次第なのだと思います。

全てが自分が原因なのだと自分を責めるのではなく、ゆるく生きれるようになった頃に、自分の軸の一つとして過去の気づきを大切にするようにしています。

皆さんの日常の気づきはなんですか?

HSPの方はポジティブもネガティヴも気付いてしまうので、よく生きづらいなどお辛い話もたくさん聴きますが、どこを拾い上げるか捉えるか大切にするかは

HSPとは関係ありません。

気づきが多い分傷つくことはあれど、生かされた環境下で自分の中の在ることに目を向けられた上で、それからHSPの個性が活かせるのではと感じています。


仕事後のお疲れビール代にさせて頂きますぅ🍺🥺