J信用金庫 v.s. MBA交流クラブ vol. 12
この日の夕方、岩野は新田西支店営業部の藤岡に電話を掛けた。
藤岡は営業の外回りから支店に帰って来たところであった。
「藤岡さん、困ったことをしちゃったね」岩野はいかにもわざとらしく言った。
「一体、何の話でしょうか」
「例の国際送金の組戻し処理のことだよ」
「その件でしたら、岩野さんの指示通り朝一番に処理を済ませたはずですが・・・」
「藤岡さん、何か勘違いしているようだね。私は、先に顧客の同意書の取得を行なって下さいと指示したはずだよね」
「え?いや、先に組み戻し処理を済ませろと・・・」藤岡は顔から血の気が引いていく。
「常識で考えてくださいよ。顧客の金を同意書の確認もなく勝手に移動できるはずがないでしょう。あなたの行動は金庫内で問題になってますよ」
「ちょっと待ってください。それは、岩野さんが・・・」
「この件で顧客からクレームが入ってねえ。しかも内容証明で。藤岡さん、あなたの責任ですよ」
「何を言っているんですか!決算が近いから、先に処理を終わらせておけと言ったのは、岩野さん、あなたじゃないですか」
「さぁ、そんなことを言った記憶はないね」
「そんな・・・」
藤岡は怒りで言葉を失った。金庫で生き残るために最も必要な能力は責任回避の能力である。しかし、これほどまでに厚顔無恥な人間を、藤岡は見たことがなかった。
この場で岩野を問い詰めたところで知らぬ存ぜぬで通すだろう。本部ではすでに俺の責任ということで話がまとまっているに違いない。
「そんな大きな話にならないように、監査の方には根回ししておくから。ちょっとしたミスなんだから、始末書一枚書けば終わる話だよ。ただし、余計なことを言ったら、分かるな。その時は徹底的に責任追求することになるから、そのつもりで」
本部の不始末は支店が被る。金融機関ではよく聞く話だが、まさか自分が当事者として巻き込まれることになるなんて。理不尽極まりない話である。
「顧客のクレーム対応は国際金融部の方でやるから。君は何もしなくて良い。そのうち監査からの連絡がいくと思う」岩野は事態を面白がるかのように吐き捨て、電話を切った。
先日の面談で何があったのだろうか。送られてきた内容証明に何が書いてあったのか。おそらく平良は組み戻しに同意していなかったに違いない。岩野の野郎、適当な仕事をしやがって。その上、責任転嫁とは、極悪非道にも程がある。
営業フロアに副支店長の高槻が現れた。高槻は真っ直ぐに藤岡のデスクの前に歩いてきた。
「藤岡君、今回の件、本当に申し訳ない」高槻は開口一番、藤岡に詫びた。
「こんな事態になるとは思わなかった」高槻は頭を下げる。
「平良さんは組み戻しに同意していなかった、そういうことですね」
「同意があったかなかったかは、結局、平良さんにしか分からない。しかし、あのタイミングで内容証明を送りつけてくることは正直予想できなかった。我々が入金させないと言っている以上、普通は泣き寝入るしかないだろ?」
「たしかに平良さんの行動は常軌を逸していますね。しかし、だからと言って、私の責任にされるのは心外です!」
相手が副支店長であろうと、言うべきことは主張する。泣き寝入ると損をするのは顧客だけではない。金庫の職員もまた同じである。
「藤岡君の気持ちはよく分かる。最終的には藤岡君の手から離れた状態で起きた事態だもんな。藤岡君に非はないよ。この件は私に任せてくれないか?私の方から本部に伝えておくから」
「そもそも、高槻さんもその場に同席されていたんですよね。こんな事態になった責任は高槻さんにもあるんじゃ・・・」
藤岡は高槻の目の奥がきらりと光るのを見た。
しまった、言い過ぎたか。
「藤岡君、問題になっているのは、同意書なく処理を進めたことなんだよ。処理を進めたのは藤岡君、君なんだろ」高槻の口調は穏やかだが、眼光は鋭い。
「仰る通り、処理を進めたのは私です。しかし、岩野さんから処理を進めるように指示があったんです」
「君は指示があれば、規則違反をする、そういうことかね?金融機関の職員とは思えない発言だ。自分で考えて行動すれば、今回のような事態は防げたんじゃないのか」
ぐうの音も出ない正論である。藤岡は苦しい状況であった。恐らく、この件は藤岡一人が責任を負わされるかたちで集結するのだろう。そして、できるだけ波風を立てずに終わった方が良いはずだ。しかし、長い物には巻かれるという生き方ができないのが、ゆとり世代の性である。
「今回の件の論点はそこじゃないですよね」藤岡は思い切って切り出した。
高槻は驚いて藤岡の顔を見る。
「平良さんは組み戻しに同意しなかったんですよね。同意が得られなかったのであれば、適切に入金審査を行う方向に持っていくのが金融機関としての筋なんじゃないんですか。なぜそこまで、対応を拒絶する方向に動いたんですか。公共のインフラの一端を担う金融機関として、誠実な顧客対応を掲げる金庫として、無理やり組み戻しを強要するようなやり方は正しいといえますか!」
そもそも今回の送金、三菱UFJ銀行が仕向け銀行であり、仕向け送金を行ったのはモンゴル最大手、モンゴル貿易開発銀行である。協賛金の元となるイベントはモンゴル大使館の公式行事であり、日本の経産省の後援も得られている。どこをどう切り取っても真っ白であり、送金を認めない理由が一切見つからない。
高槻は目を閉じ、一呼吸の逡巡の後に言った。「顧客は組み戻しに同意していた。私と岩野さんが確認を取った。それが事実だ。」
金融業務にはグレーゾーンが数多く存在する。そのグレーゾーンを白と呼ぶのか黒と呼ぶのか、それを決めるのが金融機関である。時には漆黒を見つめながら、これは白ですねと同調圧力をかける。藤岡は今まさに組織の黒い部分を目の当たりにして、それが何色かを問われていた。
「高槻さん、その理屈はさすがに通らないでしょう。同意があったのに内容証明を送ってきたとでも言うつもりですか?」藤岡はため息をついた。「こんな少額の送金、審査の手間も掛からないでしょう?なぜ、本部は対応しないんですか?」藤岡は高槻を問い詰める。
「藤岡、まあ落ち着け」隣のデスクにいた佐伯が声をかける。「うちの金庫では海外送金を断らなければならない理由があるんだよ」
藤岡は佐伯の方へ顔を向ける。
「理由って何ですか?」
佐伯は眉間に皺を寄せ、返答を躊躇った。
「・・・お前、この後、空いてるか?ここじゃなんだから、まあ、帰りに一杯付き合えよ」
「ここでは言えないような話、ですか。・・・聞かせて下さい」
佐伯と藤岡は、王子駅の北側、寂れた商店街の一角にある居酒屋の個室に向かい合って腰を下ろした。
つづく
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(参考資料)
※実際の人物・団体などとは関係ありません。
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