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山田尚子監督に見る『ただそこに存在するキレイな世界』、あるいは『逆セカイ系』
『ひろしまアニメーションシーズン2022』(https://twitter.com/Animation)にて、『平家物語』の『山田尚子(監督)×吉田玲子(脚本)×久保友孝(美術監督)』の方々によるトークショーが開催され、以下に記事が書かれています。
この中で気になったのは、久保友孝美術監督が語るこの点です。
「最初の打ち合わせの時に山田監督が、人が亡くなる悲惨な話だからこそ世界は美しく見せたいという話をしてくれました。綺麗で古くなくポップな感じ。美術についてはそういう絵作りをしていこう、と」
この内容はどこかで聞いた事があるなと思ったら、山田監督は聲の形でも同じような内容を語られています。
「聲の形」はとにかく色味でストレスを感じないものにしたくて。作品の性質上、なんとなくシリアスな話として受け取られがちなのかもしれないと思ったんです。それに将也たちはみんなそれぞれ悩んではいるけど、世の中や世界までは悩んでいない。だからその世界はお花も咲くし水もキレイだしっていうところを描きたくて。
つまり、「登場人物の置かれている状況とは関係無しに、キレイな世界はただそこに存在している」ということでしょう。
世界は我々に関心など無いということ
山田監督の言っていることはまるで、嫌なことがあった次の日の朝のように思います。
嫌なことがあって眠りにつき、次の日の朝起きて、もう学校や会社に行くのがイヤで全部投げ出してしまいたいと思っていても、ふとテレビを付けたり外を見渡したりすると、この世界は僕のことなんか気にせず回っていることに気づきます。
残念ながら世界さんは、僕の心の憂鬱さを忖度してくれて、画として似合いそうな雨を降らしてくれたりはしないのです。
ある意味残酷な話で、僕がどうなろうと、世界さんは僕に関心を持つことなく回っていきます。
『モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~』に見る『ただそこにある世界』
『モダンラブ・東京~さまざまな愛の形~』にて、山田監督のパートが少しだけ公開されました。
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ただそこに世界があって、その中に何か悩んでそうな男女二人が配置されています。
『あぁ山田尚子監督のアニメだぁ」と思わず思ってしまいました。
言うなれば逆セカイ系
『登場人物間の小さな問題が、「世界の危機」「この世の終わり」などといった大問題に直結する作品』はいわゆる『セカイ系』と呼ばれていますが、山田監督の作品はある意味『セカイ系』と真逆ですね。
登場人物達の内面がどうなろうと、世界が変わったり滅んだり救われたりはしません。
琵琶法師が未来透視の超能力を持っていたとしても、大戦が起こる世界は変えられません。
不思議な能力を持つ喋る鳥が商店街にやってきたとしても、世界は何も変わりません。
世界はただ残酷なまでにキレイな世界として存在し、登場人物達にはその世界を変える力などなく、悩みもがいていきます。
そこが、山田監督の作品に連綿として貫かれている芯なように感じます。