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始まりがあって終わりがあるからまた行きたくなる
劇場版ゆるキャン△のネタバレを含みます。
未視聴の方はブラウザバック推奨です。
え、カバー画像?俺が本栖湖・浩庵キャンプ場で撮った写真だよ。
一回しか見てないので、ひょっとしたら感想がかわるかもしれませんお許しください。
また、自分でもびっくりするくらい読みにくいなーとはわかって今すが感情重視で書いたのでなんとなく伝わってくれれば幸いです。
ゆるキャン△の良さ
まず、ゆるキャン△の良さって
女子高生がキャンプしてるっていうほぼありえない(俺は年5~6回位のキャンパーですが見たことないです)状況を
キャンプ場という、それを上回る非現実空間が作り上げてるものだったなと思うの。
確かにキャンプ場で食べるとカップラーメンすら旨いってのは、1話にしてすべて詰まってたと思うし、あfろ先生は引き込むのが本当に上手いなと思う。
劇場版ゆるキャン△は?
どこから語ろうか。
まぁまず感想からいうとちょっとイメージと違ってた。
亜咲花の「Sun Is Coming Up」からは
「しばらく私達、連絡も取れなかったし、話もしてなかったけど全然変わらないじゃん」
みたいなのがテーマだと思ってた。
微妙に違ったよね、連絡は取り合ってるけどあの高3ラストのキャンプ以来みんなで行けてないよね。
お金はあるのに、時間はない、なんかもどかしいよね
っていう割と大人になると出くわす共通のテーマ。
今までのゆるキャン△とは違うところ
端的に言ってしまえばゆるくない。
きらら作品は当たり前だけど男キャラに対する嫌悪って結構強く出てると思うの、そういう中での今までメインでは出てこなかった男性キャラクターの前面の押し出し。
だってそうだよね、女の子がキャッキャウフフして何も起きない日常系の空間を見ていいなーって思うのがきらら作品なわけだから。
いきなり、編集部で激務に追われるリンとか誰がみたいねんって話よな。
挙句の果てにキャンプ場を作るってもう緩さのかけらもない。
社会人になればわかる。
くだらない制約だの、他の人間との折衝だの、企画を出しては拒否られ、没をくらう。
そんな中でなにか創作をする。無理じゃ。
弱気な志摩リン
本当に無理なのか?
「なんで無理って思ってしまったんだ。社会にもまれて、生活するうちに何かに挑戦するということにビビってるんじゃないのか。」
あの冒頭の場面でタブレットで地図を見て、「いや遠くね?」みたいな気の迷い方。
志摩よ、アクティブになって次の日に疲れが残ることを恐れているな?
当たり前だ、何かアクションを起こすってのは疲れることなんだ。
変わらない日々のトビラを開け
光の向こうまで
Right now はじまりの一歩
でも、これを教えてくれたのは紛れもなくしまりんだったんだ。
最初に本栖湖でしまりんキャンプしてなければ、そもそもリンとなでしこは出会ってないだろ。
なんで志摩リンだけ激務なのか
この映画のテーマは「再生」
「再生」には誰しもがわかる
・動かないものを再び動かす再生
の他にも
衰え死にかかった生物が息を吹き返すことや
精神的に生まれ変わることも「再生」という表現をすることがある。
古びた、青年施設をキャンプ場へと改装し。
なでしこが働くキャンプ用品店に新しく来た女子高生がランタンを購入して思いを受け継いで「再生」していく。
これが見て取れる形で起きた「再生」だけど
それ以外にも
・できることの範囲の中で楽しむのもキャンプの醍醐味だよねっていうのを思い起こしてもらった、気持ちの「再生」が大きくあったと思う。
温泉のシーンは別にあんな山なんてわざわざ上って風呂なんかいかんでもいいのよ。
でも不便(逆境)なこともマッチポンプにつながるよ。
それをナチュラルにやってのけるからリンにとってなでしこは「すごい」んだよね
つまり物語における「再生」を目に見える形だけじゃなくて気持ちの面でも表現するには
編集部の激務に追われて、原作中一番キャンプが好きだったリンが自分の本当に好きなキャンプになかなか手が付けられないくらいナイーブな状態にする必要があったんだよね。
この映画は一体誰に向けて作られたものなのか
これはいったい誰に向けて作られた映画なのか。
残念ながら映画においての志摩リンはソロキャンパーは卒業してしまった。
その代わりにかけがえのない生涯においての友人というものを手に入れたのだ。
この映画は大切な友人がいたけど、しばらく会ってない久しく話していない友人と楽しかったあの頃を「再生」しノスタルジーに浸るための素晴らしい映画だと私は思う。
カッコつけたタイトルで何が言いたかったのか
何事にも始まりがあって終わりがある。
映画になっても始まりの曲があって終わりの曲がある。
でも、終わりがあるからまた始めたいと思うんだろうなぁと
旅行も、キャンプも見慣れない景色から見慣れた景色が戻ってくるあの瞬間がとても愛おしくてたまらないんだよな。
ゆるキャン△がシリーズ通してずっと伝えてきた
「再び生(行)きたくなる」ってのがこの映画でも見ることができてよかったなあというしみじみとした感想です。
トータルで見ると?
否定はまったくしないし素晴らしい映画だけどゆるキャン△元来の本質的な良さとは少しベクトルが違うかなとは思った。
僕が思うゆるキャン△本来の良さは、キャンプ中における何気ない気付きだったり、スマホを頼らない時間の使い方。
ゆったり流れる時間の中でなでしこたちがいろいろなことに挑戦して、やっぱりキャンプが楽しいっていうのがあの作品の良さだと思っていたから。
この映画ほんとにいい作品だと思う、何度も見たいと思うけどあの独特なゆるさってのはない。
激務に追われるしまりん、ちくわが死ぬのか?という1.5時間の恐怖、廃校というあまりにも悲しい現実を突きつけられつつもどうにかおちゃらけようとするいぬ子。
あまりにも大人になってしまった彼女たちをまざまざと見せつけられるので合わない人はとことん合わないだろうなと思う。
終わり
僕もまたキャンプに行きたいと思いました。おしまい。