【放送大学特別講義/視聴メモ】「森鷗外と明治の青春〜「青年」を中心に〜」
2年前に観た放送大学特別講義「森鷗外と明治の青春〜「青年」を中心に〜」講師:島内裕子、倉本幸宏(森鷗外記念会常任理事)、山崎一穎(敬称略)の視聴メモ。ヨーロッパで一般的だった方眼付き地図の作成を明治期に立案したのは鷗外だった。自分が作った方眼付き地図を『青年』の主人公・小泉純一に持たせている。自然主義の作家・大石狷太郎に会いに行く。時代背景として、大きな事件が1910年(明治43年)の前後に起きてくる。一つは1906年、東京の電車の運賃値上げ反対デモが起こる。1907年に経済恐慌が起こる中で、株が暴落し、労働争議が起こる。しかも1907年には足尾銅山鉱毒事件に関して軍隊が出動するというようなことが起こってくる。そういう中でも一番大きな出来事は1910年5月の大逆事件である。そして8月に「韓国併合」が強行される。翌年1911年1月に大逆事件で12名が死刑になった。『普請中』(ふしんちゅう)は1910年(明治43年)6月1日『三田文学』で発表。1910年3月から翌年8月まで『青年』を「スバル」(1909年に鷗外を中心に創刊)に連載。1911年には平塚らいてふが雑誌『青鞜』を創刊。正宗白鳥の『何処へ』(1908年)は鷗外の『青年』に大きな影響を与えている。漱石の『三四郎』も田舎から上京してきた知的な青年が精神的な遍歴を遂げていく。『青年』の主人公・小泉純一はY県おそらく山口県から上京。おばあちゃんから聞いた伝説を使って創作をし始めている。途中までの創作を持って上京する。坂井れい子という名流婦人としての幻像。虚像であると思い知らされる。現代の生活から物語は生まれない。そうすると国のおばあちゃんが聞かせてくれた伝説の世界に回帰していく。自然主義への傾倒⇨ユイスマンス『彼方』を読む。霊的自然主義。⇨メーテルリンク『青い鳥』を読む⇨象徴主義的な手法で古い伝説を蘇らせる。⇨自覚的な孤独を原動力にして、国のおばあちゃんが聞かせてくれた伝説の世界に回帰。『青年』の少し前に新聞で連載された上田敏の小説『うづまき』。