作品の持つ価値の位置付け/イラストレーターMAKURA
こんにちは。
大阪でフリーランスイラストレーターとして活動しています。MAKURAです。
今回は私の最近の議題
作品の価値って一体なんだろう
というような問いについてお話ししたいと思います。
早速ですが、最初にぶち当たったのが
作品単体では価値はないんじゃないか
というものです。
一体どういうことなのかお話します。
作家↔︎作品↔︎社会
この一連の流れこそが、作品の生み出す価値なんじゃないかと考えています。
例えば、社会が仮に存在せず、作家と作品のみが存在する場合、届け先がなければそこには価値は生まれないと思います。
なので、私個人としては、社会との繋がりをとても重要視しており、
・作家を伝える熱量
・作品を作る熱量
・作品を伝える熱量
は同程度持っています。
このnoteに関してもその為です。
そしてもう一つは、作家。
もっと言うならば、世界観,理念,ビジョンを有する作家そのものが存在しない場合、そこには、空虚な作品と社会だけが取り残されます。
この事象は、昨今のAI生成のイラストの業界によく見受けられます。
何の世界観も理念もビジョンももたない人
が画像生成をすることが可能になりました。
技術的進歩にはいいですが、制作としては成り立ってないなあ
というような印象です。
仮にピアノの発表会があり
作家↔️作品↔️社会 は
演奏者↔️演奏↔️オーディエンス に当てはめられますが、
意図のないピアノ録音↔️オーディエンス
では、オーディエンスは聞いてられないですよね。
これはなにも、AIを使わないでと言っている訳ではありません。
逆に、世界観,理念,ビジョンをもつ作家が、AIを用いて表現を追求することに、私は賛成です。
ただ、やはりイラストに限っては、その描くという行為自体や数年をかけ技術を習得した面にも尊さがあることも事実ですが、
AIを含むどんなアウトプット方法を選ぶにしても、「誰がどんな思想で作っているのか」
が重要な時代に突入するでしょう。
つまり、まとめると世界観、理念、ビジョンを持つ作家と社会を繋ぐ役割に作品の価値の根本は存在していると位置付けており、作家から発信するアウトプットの波を何倍にも膨らませることができるのが作品です。
作家↔️【作品】↔️社会
の位置関係の連続が、私の作家活動の一つの基準となっています。
よくよく考えてみれば、当たり前なことをつらつらと書いてしまいましたが、言葉にするとより、明確になりますね。
今回第二回目の記事となりますが、最後まで読んでいただき本当にありがとうございます。
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