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最近弟と話したことについての雑記

こんにちわ~こんばんわ~。

久し振りにnote書いてみようかなと思い書いてみることにしました。

という今回書くきっかけになったのが、久しぶりに再会した兄弟との再会がきっかけです。

僕の兄弟は弟が一人いるのですが、長らく合ってはいませんでした。
今回僕の両親が還暦という事で、そのお祝いに宿泊施設に宿泊することに
なったのですが、そこでの弟の会話の内容が今回考えるに至ったきっかけです。

その話の内容と言うのが、近況報告から始まり現在の仕事についての話や
お互いの考え方価値観的なものまで色々と話しました。

その中で弟の言い分と言いますかと信条と言うんですかね、漫画カイジで出てくる利根川さんと言うキャラクターの名言なんですが「勝たなきゃゴミだ!」と言うセリフに強く影響を受けているようでした。

そして、「自分より長く働いているのに自分よりできないやつや稼げてないやつは無能」ともいっていました。女性にモテル条件はお金が全てだとも。。

確かに彼の考え方は、勝ち負けと言う概念で見れば収入の上下は社会構造として存在していますし、そういう物事の捉え方をしたら確かにそう見えると思います。
しかし、それは物事の一側面、一つの視点だけなんだよな。という事に彼は気づいていないんだろうなと思います。

まず、彼の話に際して女性がパートナーを選ぶという事柄について僕なりの考えを書いていこうかと思います。

女性が男性をパートナーとして選ぶ際に、お金は確かに重要で大きな影響力を持ち大切な要素となってくると思います。
でも、その要素だけでパートナーを決めている人ばかりじゃないんだよと、僕は言いましたが彼は彼の経験則があるらしく、まったく聞く耳を持ちません。
女性によると思いますが、パートナーを選ぶ際にお金と言う要素が大きく影響する方とそうでもない方、そういう人による個人差はあると僕は思うんです。
そしてたとえ話なのですが、収入がまったく同じ男性が3人いたとしたら選ぶ側の女性は「どの人でもいいや!年収同じだし!」となる可能性は恐らく低いのではないでしょうか。
お金以外の要素、清潔感だったり人間性だったり趣味が合うだったり
価値観が合うだったり、波長が合うっていうんですかねそう言う別の要素で相手を選んでいくと思うんです。
なので彼のいうお金がすべてでお金さえあれば、年をとってもモテル!みたいな事は全くないとは言いませんが、確実にお金と言う要素だけで女性は男性を見ていませんよというのが僕の見解なのです。

次に彼が言う「勝たなきゃゴミ」と言う考え方についてなのですが、確かに収入だけ見れば低い方もいますし高い方もいます。
しかしそれらに上下付ける見方自体が、一つの考え方に過ぎないという事に彼は気づいていないのでしょう。
その負けた人で所謂負け組とか言われている方々の事なのですが、負けてはいるかもしれませんが必ず誰かの為になっている、社会で働いていて収入が少なくても他者に貢献している。
こうやって人の為とか社会の為に働いていること自体に年収で上下をつけると言う一つの視点で終わらせるのはあまりにも短絡的ではないだろうかと思ったのです。
年収が少ないけれど心豊かに過ごせている人もいるでしょうし、やはり納得がいっていない方もいるでしょう。
逆に年収が高いけど人生に満足いっていない人もいれば、思う通り満足している人もいるでしょう。
これらの事から思うに、勝っていても負けていても受け止め方次第で人は幸せに暮らせるのではないだろうかと思うのです。
「いやそれはない」と言う方もいると思います。
余りにも収入が少なくて生活に困窮する方もいると思うので、僕の考えが押し付けになってしまわないようにしないとなとは思います。
ですが、十分に生活できる状態で負けている状態でも人は捉え方によって満足して生きられると僕は思います。

勝ち負けとか無能とかゴミクズ、こういった言葉は一般的にはいい見方はされませんよね。
僕自身もこの言葉自体に不快感を覚えますし、ネガティブに解釈してしまいがちです。
こんなこと人に言われてうれしい人は、そうそういないと思います。
稀にいるかもしれませんが(笑
ですが、これらのネガティブな言葉の解釈をもっと前向きに解釈していけばどうなんだろうかと、ふと弟との会話で思ったのです。
負けるという事に対してダメとか悪い!とか頭ごなしに否定するのではなく
なぜ負けてしまったのだろうとか、何が自分に足りなかったのだろうかと
そこから学び成長することができますし、負けていたとして次の日誰かが襲いに来る!だとか次の日確実に死ぬ!なんてことはないと思うんです。
(デスゲームのようなバトルロワイヤルではない限りですが笑)
だから負けている状態に対して、否定するのではなく受け入れて許容する
そう言う心構えさえ持てれば、心の広さと言いますか許容範囲も増えて
一つ人間的に成長できるのではないのかなと思うのです。
それに負けているという事は必ず勝者がいるという事で、その勝負に勝った者達から摂取されているんだ!と捉えることもできれば、自分は彼らに優越感的な充実感を与えているんだ、彼らのために一役買えているんだとそういう風に解釈することもできると思うのです。
だから負けている側が無価値という事は確実にないと思います。
きっと弟もそうやって勝って行って自信をつける、そういう相対的な価値観の中で前に進んでいっているんだと思います。

無能と言う言葉にしてもそう悪くはありません、見方によればあまり働かずに済むと言いますか、労働力として大きな仕事をせずに済むというメリットがあるのではないかなと。。
人を管理する人たちの視点で考えたら、どう考えてもできる有能な人に
ある程度大きな仕事を任せたり、仕事の割り振りを多くしたりすると思います。
有能な人に任せた方が間違いないですし、そういう人は管理する人たちにとっては戦力になると思われますので。。
そういうあまり重要な仕事や働く量も多くなくて気楽にすむという視点で考えると無能なことほど素晴らしいことはないんじゃないかなとか、前向きに考えることもできると思うのです。
仕事以外の自分の時間、家族との時間も増やせますしね。
「いつまでたっても成長しない、あいつは無能だよ、学習能力がない」
こういう評価をされたとしても、もしかしたらそう言われた方は仕事という事に関して重要視した人生を送っていないのかもしれませんし、只々お金稼ぐために仕事やってるのでモチベーションが上がらないため、物覚えが悪いのかもしれません。
それか只々上司の方々や先輩がその方の能力を見余っているのかもしれません。
人から評価されることよりも、自分で自分をどう思って評価しているのかが大切なんじゃないかなと思います。
人に評価されることを優先した人生を送ると、その評価している人からの自己承認欲求を求める事だけに人生を使ってしまうのではと。
なので自分が自分の事をどう思っているかの方が、大切なんじゃないかなと僕は思います。
ある事柄に関しては、無能と思われる方でも別の事柄では凄い能力を秘めていたりすることは、多く存在すると思うのです。
なので個々の能力を発揮してこの世界のためになることや、自分の好きな事をしていけばいいんじゃないかなと思うのです。
話が脱線してしまいましたが、どんな物事にもポジティブに捉える事ができる視点があると思うので、その前向きに考える癖をつけていけば、もっと物事をネガティブな解釈ばかりに集点を当てることなく生きていけるのではないかと今回はそう思いました。
最後に弟には弟の世界観、価値観がありそれで生きている
僕には僕の世界観や価値観があり生きている
お互い真逆の考え方でもどこか似ている部分もありやはり兄弟なのだ。
価値観や考え方は違うかもしれないけれども昔のように仲良くやっていきたいと僕はそう思う。

久し振りに書いたのでnoteの編集方法忘れてしまいましたが、なんとなく書きたいことは書いた気がするのでこの辺りで…
ではでは~。。

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