生活の根幹の幸せは認めてもらえない
先日山梨県の山の中でテントに泊めていただく経験をしました。その経験を通して、自然のありがたみ、偉大さを感じました。
自然の中で囲んだ鍋は最高に美味かった。今までの人生の中でもトップ3に入ってしまうレベル。思いが詰まっていたからかな。なんでこんなにも美味しく感じるのだろう。本当に不思議だった。
自然の中で教えていただいたのは、必要最低限の生活の中に幸せが詰まっていること。自然の中で鍋を囲む。芝生に寝そべりながら星空を眺める。テントの中で眠る。そんな食べる、寝るという生活の根幹に幸福感が詰まっていたのだ。
現代の社会の中では、周りを情報は嫌でも入ってくる。自分には必要もないのにも関わらず、力を見せつけられると、自分をさげすんでしまう。必要ないのに。幸せを感じることができればそれでいいのに。お金って幸せを生み出すためのツールに過ぎない。一番重要なのは、自分が幸せかどうかだ。それなのに、幸せよりもお金に目がいってしまう。なぜだろうな。
幸せが一番重要だ。幸せにお金は必要ない。そう体感することができたのだが、共感は得られない。「お金が稼げないから逃げているだけではないのか?」と。違う。今まで体験したことないくらいの幸福感を味わったのに。お金が必要ないということを本当に実感したのに。わかってもらえない。
真の幸せにお金が必要ないことを多くの人に理解してもらうためには、やはりお金を稼がなければならない。
僕は共感が得たいのだ。お金に関係なく、こんなにも幸せだよって。みんなに教えてあげたい。しかし、逃げれいるだけだと思われて、伝えることができないのなら、お金を稼ぐ必要があるなと思った。
僕にとってお金を稼ぐ目的は、真の幸せを多くの人に理解してもらうことなのかもしれないな。そんな気づきを与えてくれる旅でした。
とむさんに感謝。
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もらとりずむ