大切な人の中のアクマを退治した話
最近はなんかしみじみとした文章が多いので、たまには自分らしい文章を着ていきたいと思います。
今回はアクマ退治をした話です。
悪魔に取り憑かれていたのは、みゆうです。
みゆうというと長いので、Mと表記します。
Mという女性と2年と10ヶ月付き合っていました。
しかし、一度別れました。
原因は、Mが悪魔に取り憑かれていたからです。
これを読んでいるあなたは
「何を馬鹿なことを言ってるんだ」
と思うでしょうね。
ですが仕方ありません。僕は正真正銘のバカです。
真の僕を知っていればいるほど、僕がバカで意味のわからないやつだということを知っているでしょうね。
炸裂させていきます。
話を戻しましょう。
一度Mという女性を別れました。
原因はMという女性が以下のような不満を抱えていました。
1.休学をしてしまい、何がやりたいかもわかっていない僕と付き合っていると将来が不安。
2.僕というキチガイが人生で一人目の彼氏であり、他の人と付き合わないのはどうなのかという疑問が生じた。
原因は主にこの2つだったかなと思います。
バカなので感情を読み違えているかもしれませんが、的中していると根拠のない自信があるので、このまま続けます。
まず原因1について。
休学をして、「何がやりたいかわからない」と言っている彼氏と付き合う気持ちを想像すればわかりますよね。不安なのは当たり前です。
Mという女性は育ってきた環境の影響もあり、少し華やかな将来を思い描いていたようです。
きっと、
世界中を旅行したい、いい車に乗りたい、大きな家を建てたい。
というような願望があったのでしょうね。
人間なら多くの人が抱く願望だと思います。
何もおかしくありません。
どれもお金が必要なことです。
大多数の人間と同じように、ある程度のお金がある生活を将来的に求めていました。
しかし、こんな僕と付き合っていては、実現できる可能性が全くわからないどころか、旅人にでもなろうものなら、思い描いていた暮らしは不可能に近いものとなってしまいますね。
原因1は妥当。
原因2について。
人生でキチガイの僕しか知らずに終わっていくのはどうなのだろうという疑問。
これも妥当です。
将来の安定を考えると、僕より優秀な男性はそこら中にいるでしょう。
優しくて、優秀で、金銭的にも安定している人を見つけることができれば、Mの悩みは全て解決するのではないでしょうか。
生きる目的もはっきりしていない彼氏であったため、余計他の人が気になったのでしょう。
仕方ありません。
「??。タイトルにはアクマを退治したとあるけれど、どういうことだ??」
僕はMの中に潜むアクマを退治したのは事実です。
このアクマは多くの人間に住み着いているものです。
キチガイっぷりを表現するために、自分のことを「僕」ではなく「俺様」と置き換えて説明していきます。
人間は同じことを続けていると飽きてしまいます。慣れてしまいます。
脳の受容感度が低下していくのです。
最初の頃は感じていた刺激も、続けているとあまり感じなくなってしまうものです。
何が言いたいかというと、
「俺様の大切さがわからなくなってしまっていた」
ということ。
「ただ俺様と一緒にいることが幸せ」
だということを感じれなくなっていたのです。
人間の特性をよ〜く知っているアクマは、時が経つにつれ、人間を蝕んでいきます。
もしあなたがご飯を食べるときに、
「いただきます」
と言ったとします。
ちゃんと食事ができるということに感謝できていますか?
自分の血肉に変わってくれた命に感謝できていますか?
もしもできていないなら、あなたにもアクマが住み着きかけているかもしれません。
慣れからくるアクマです。
親はなぜあなたに食事の際に「いただきます」を言うように指導したと思いますか?
親自身も指導している時以外は忘れてしまっている可能性が高いと思いますが、
自分の命に変わってくれる食材や、その食材を作るために命を燃やしてくれた人への感謝を忘れて欲しくなかったのだと思います。
ただ「いただきます」と言うだけならば、それは「いただきます」の本質をあなたは見失っています。
言うことが重要なのではなく、感謝することが重要であり、本質です。
たとえ話が長くなってしまい申し訳ありません。
この人間の特性である「慣れ」「飽き」によって襲いかかるアクマを俺様が退治してやりました。
Mは一度僕と別れることによって、アクマの存在を認識できたのでしょう。というか認識できました。
つまり、「俺様がアクマを退治した」とも言えるでしょう。
こいつは一匹目のアクマです。
二匹目のアクマも本質を見落とすことで、あなたに住み着くアクマです。
お付き合いをして、その延長線上にあるのは結婚。
なぜ、お付き合いや結婚をして、男女は人生を共にしていくのでしょうか。
もちろん、生物の本能も1つ理由でしょう。
しかし、俺様が思う一番の理由は、
「幸せ」
を求めているからではないでしょうか。
そんなこと当たり前です。
当たり前なのに、見えなくなることがあるのです。
二匹目のアクマの仕業です。
それはお金というアクマです。
この世の中では、何をするにもお金が必要なことが多いです。
常にお金が必要になってきます。
自分がやりたいと思ったことを実現するためにもお金が必要になってきます。
常にお金が必要となっているがゆえに、
「お金がある=幸せ」
だという勘違いをしてしまいます。
もちろん、お金があれば幸せなことは多いでしょう。
やりたいと思ったことは実現できるのですから。
最高です。
しかし、それもお金を使って幸せを手に入れているのです。
つまり、お金は幸せを手に入れるための1つの道具に過ぎません。
やはり最終的に手に入れたいものは「幸せ」だと思っています。
「ストイックに生きたい、こうありたい、こんな人と付き合いたい、これが欲しい」
結局、ストイックに生きたいのは、ストイックに生きていることが自己承認欲求を満たし、「幸せ」なのでしょうし、
そのほかの願望も最終的には「幸せ」につながっているのです。
こんなにお金ではないと語っておきながら申し訳ないのですが、幸せはお金があれば大抵のことは実現できてしまうと思っています。
しかし、だからこそ、お金ではどうにもならないものに対する幸せを強く感じるのでしょうか。
例えば、心から大切だと思える友人。
お金では買えません。
長期間にわたって関わり合い、語り合い、心を許していく。
お金では手に入らないぶん、長い時間がかかるぶん、大切な宝になるのでしょうね。
「親友」の存在はなんとも言えない「幸福」を僕に与えてくれます。
これからの人生でたくさんの「親友」を作りたい気持ちはやまやまなのですが、こればかりはどうしようもありません。
自然の産物です。
だからいま「親友」がいる僕は超幸せです。
もう1つは、議題でもある恋人です。
お互いに支え合って、自分の人生の一部での「幸せ」を共有するパートナーです。
長い年月が経てば経つほど、お互いに築いてきたものは手に入れ難く、大きな宝物になります。
本当に宝物なのです。
しかし、「慣れ・飽き」によるアクマの手助けもあり、大切な宝物なはずなのに、「お金」によるアクマに負けてしまうことがあります。
「お金がある=幸せ」
という錯覚のせいです。
「お金のある生活>恋人」
となってしまうことがあるのです。
お金により手に入れることができる「幸せ」が「恋人と長年育んできた幸せ」を超えるのならば、「お金」によるアクマに負けた方が幸せになれるかもしれません。
しかし、二人で全力で築いてきた宝物が「お金」に負けてしまうのでしょうか。
負けないと思います。
お金により手に入れられる幸せよりも、二人で築いていく幸せが大切だったのです。
お金だけがあっても人生に満足できません。
しかし、「幸せ」があれば人生に満足できます。
このことからも、何が本質的に大事なのかは明白ではないでしょうか。
将来を考えた時に、「お金の不安」を考えるのは本質的ではないと感じます。
二の次でいいと思います。
最も重要なのは「幸せ」かどうかなのです。
なんか話がぐちゃりましたが。
お金よりも幸せを見るべきじゃない?って話です。
「お金=幸せ」ではなく、「お金<幸せ」じゃないか?って話です。
お金を使って最終的に求めるのは、
・お金があるという安心からくる幸せ
・やりたいことが実現できる幸せ
など、やはり「幸せ」なのですから。
お金のありがたみは日々実感するものですが、パートナーと一緒にいるありがたみは、付き合いが長くなればなるほど、実感しにくくなっていきます。
そしていつしか、慣れによるアクマによって、お金が、見えにくくなっている「幸せ」を超えたように錯覚させてしまったのかもしれません。
見えにくくなっている幸せを。将来の安定やお金の不安に霞んでしまった真の幸せを。
俺様が気づかせてやったわけさ。
俺様が退治した二匹目のアクマは、
「お金>幸せと錯覚させてしまうアクマ」でした。
Mはこの経験から、お金が最も重要なのではなく、幸せが重要であることに気づいてようです。
重要というよりも、見えなくなっていた幸せは、やはりお金よりも大きかったということに気づいたのでしょう。
お金がある人についていった方が生存確率も上がり、種を存続できる確率も上がります。
故に女性は、男性の年収をよく気にする傾向が見られます。
動物の本能的な性質であり、仕方のないことなのはわかります。
でも重要なのは、
「幸せ」であることを忘れないでください。
日々霞んでいってしまう「幸せ」が最も尊いものだということを忘れないでください。
あらゆることに感謝の心を持っていれば、重要なものが霞んでいくこともないでしょう。
見えなくなりがちな、当たり前の幸せに感謝して生きていこう。
その後・・・
人間であるが故の呪縛から解き放たれたMとは再びお付き合いをすることになりました。
別れるという経験を通しても、
・アクマの存在に気づけない
・気づいたが、やはり別れるという選択が正しい
という場合には復縁することはなかったでしょうね。
ちゃんとMは気づいてくれたようなので、これからも長いお付き合いをしていこうと思っています。
キチガイっぽく書いていこうと思ってはいましたが、やはりしんみりとした文章になってしまいました。
でも、こんな別れただの復縁しただの、詳細なことを知り合いたりに完全にオープンにしている時点でキチガイなのかもしれませんね。