「世界の広さ」


フォローさせていただいている椿さんの、いつも楽しみにしているnoteを読んで思った事があったので、リプライにするには長めの内容になってしまいそうでしたのでこちらに書いてみようと思います。

あまり自分の事を書かないわたしなので皆さんもちろんご存知ないと思いますが、これで意外といろんな国に行ってみた事があるのです。

大学生の時に始めての海外旅行?でワシントンにいる知り合いのお宅にクリスマスの時期に2週間ステイさせていただいて、ミシガンの親戚めぐりに同行させていただいたのを始まりに、中国大好きな旦那さんに連れられて23で結婚してから新婚旅行で北京と上海、それから毎年のように5年くらい広州、桂林、香港、西安、敦煌、長春、大連、昆明、武漢、重慶等々をめぐり、そのうちわたしが中国はもう飽きたと騒ぎ出したので中国から国境を越えてもう1カ国回るという妥協案?でベトナムのハノイやロシアのウラジオストック、韓国にも行きました。それから転職のタイミングで長期の休暇が取れた時にロサンゼルスにいた知り合いのファミリーのところに遊びに行きレンタカーでラスベガスまで行ってショーやカジノを堪能したりもしました。それから義弟の結婚式でグァムも行ったっけ。ハワイはまだ行けてないけどいつかは行きたいです。(←)

あ、あと日本もね、沖縄はまだ行ったことないんですけど北海道、大阪、名古屋、京都、金沢、四国、長崎、熊本、等々大体の県になんだかんだ行ってますね。

が、当然の事なんですけど、どこに行ってもわたしはわたしなんです。埼玉県にいるわたしもラスベガスにいるわたしもほとんどなんら変わらないわたしなわけで。

それに気付いてからはそんなにあちこちに行きたいとは思わなくなりむしろ秋葉原あたりでブラブラしてる方がエキサイティングだと感じて今に至ります。てか秋葉原なんてさ、世界中のヲタクが死ぬまでに1度は訪れたいであろう桃源郷なわけでそこに数駅で行けるわたしの人生のなんと恵まれてることか。

と話は逸れましたが、そうそう、わたしはどこに行ってもわたしって話。つまり世界の広さはわたしの心の広さなんだなと。

心を広くしたかったら世界を旅するのはなにかの足しにはなるかもしれないけれど、もしかしたらなんらかの事情で生涯ベッドで過ごさなきゃいけない人よりわたしの世界(心)は狭いかもしれないわけで。

まだ見ぬ世界はいつでもわたしの中にあるんだな。というお話でした。

~fin