サイレンススズカの命日によせて

カーラジオから聞こえた実況の焦った声が今でも耳から離れない。
25年前の今日、当時11歳だった私は生まれて初めて大切な者の死を経験した。


そう、稀代の快速馬サイレンススズカが早すぎるターフへの別れを告げてからちょうど25年の歳月が流れた。
まさしく父の名の通りとなったあの日のこと、あれから秋天の度に思っていたこと、そして今感じていることを改めて記したいと思う。


競馬が好きな父が、今日は一番有名なレースの日だから一緒に競馬を観ようと言ってくれた1997年の東京優駿ー生まれて初めて観たレースがあんな名実況だなんて私はなんて幸運なのだろうかー後続を寄せ付けず逃げ切った勝馬サニーブライアンはあっという間に私を競馬好きにした。そして私は逃げ馬が大好きという奇特な少年になった。
それから、サニーブライアンは次いつ出るの?と何度無邪気に尋ねたことだろうか。しかし父の答えはいつも玉虫色であり、私がその理由を知ったのはそれからずっと後のことだった。
とはいえ競馬は(G1程度ではあるが)引き続き定期的に観ており、その年の有馬記念を(ダービーでサニーブライアンに敗れた)シルクジャスティスが差し切るのを観てやはり競馬は面白い、それにやっぱりサニーブライアンが一番強いんだと確信を強めた。

それから時はしばらく流れたある日父が「サニーブライアンと同じぐらい強い逃げ馬が居るぞ」と教えてくれた。そう、その馬がサイレンススズカである。

あの金鯱賞、なぜ今日は大逃げしないんだろうと首をひねりながら観た宝塚記念、当時そのレースの凄さなんてよくわかってなかったけど、どこまで行っても逃げてやるって一緒に叫んだ毎日王冠、すべてのレースが宝物であり、彼こそが私のヒーローだった。 そしてあの日を迎える。。

1998年11月1日、私のヒーローは1枠1番から圧倒的1番人気に推され秋の天皇賞に出走した。
私はどうしてもそのレースが観たかったのだが、残念ながら空気の読めない祖父母が一緒に出掛けようと誘ってきたため泣く泣くTV観戦を断念した。
厳密には、父が一緒に車のラジオで聞こうと言ってくれたのでそこを落としどころとした。そして話は冒頭へ戻る。
父さん、スズカは死なないよね?と何度聞いたことだろうか。



それから時は経ち、私は順調に無邪気さや無垢さを失っていったがそれでも競馬の魅力は私を掴んで離さなかった。
あの日の事ーとはいえ優しい父のおかげで私が事実を知ったのはしばらく時間が経ってからだったーがありもちろん悲しかったし、喪失感という物を身をもって学んだ、いや学ばざるを得なかった。
それでも、私はまたスズカぐらいかっこいい馬を見たい、秋の天皇賞でスズカでも負けたかもしれないと思うぐらい強い馬を知りたいと思うようになっていった。
はっきり言語化している人がどれほど居るかというだけの問題で、あの日のあの出来事を目の当たりにした多くの競馬ファンに少なからずその想いはあったように思う。トウケイヘイローやエイシンヒカリに得も言われぬ期待と不安と高揚感を覚えたのは一部のファンだけではなく競馬界全体だったのだから。
トウケイヘイローやエイシンヒカリはもちろん一抹の怖さを抱きながらも全力で応援したし、3年続けて気持ちいい逃げを見せてくれたシルポートには牧場まで会いに行った、ローエングリンやアエロリットやパンサラッサなど秋天で逃げた馬たちにはただならぬ感情を今でも拭えない。
それでも他の要素が多すぎてあのレースだけは切り離して考えたいと思っている2008年のダイワスカーレットを除いて私にスズカでも負けたかもと思わせてくれる馬は現れなかった。
いや、正確に言えば2003年はかなり微妙であの年のクリスエスには本当に戦慄した。冷静に考えるとスズカをもってしても差されたかもしれない。しかしこれはもういろんなファクターを無視した感情論・願望としてスズカなら57秒台で走っていたと言い張りたい。


そんな風に俯瞰で真面目に考えたり、感情論で暴走したりしながら24回秋の天皇賞を観てきた。そして今年歴史は変わった。


四半世紀というひとつの節目が、私によりそう思わせた可能性も強く否定はしないが、正直2023年のイクイノックスは流石にあのレベルに届いたのではないかと思う。昨年パンサラッサを最後の最後で捉えた時に半分ぐらい感情は崩壊していたー2003にかなり近いレースだったーのだけど、やっぱりスズカが3歳馬に差されるとは思いたくなかった。1年経って同級生なら許してやるかなんて思ったりもして。この舞台なら信頼度が高いジャックドールの存在も大きかった、スズカを捉えられるとしたら離されずについて来れてそれでも最後に脚を残せる馬しかいない。ずっとそう思って幻影を追い続けたけど、やっと答えにたどり着いたよ。

純粋だった少年は穿った見方しかできない中年に変わり果てた。
でもそんなおっさんにもセンチメンタルな夜があったっていいじゃないか。
11/1だけは毎年こうなんだ、笑ってくれ。

勝手に背負っていた十字架をようやく降ろさせてくれたイクイノックスには本当に感謝している。一番有名なレースの日にまた今年あんな悲劇があり傷が疼かないわけではないけれど、でもだからこそ競馬の凄み、奥深さ、ロマンが詰まったあの秋天の走りに本当に救われたし、世界最強の意地を見た。

ごめんね、サニーブライアンずっと大好きだよ。

拝啓 サイレンススズカ号
今でも天国で元気にしていますか?
相棒の豊さんはまた今年あのレースの日に酷い目にあってしまったけど今でも元気に頑張っています。去年はダービーを勝ったし、あれから4回も秋の天皇賞を勝ちました。
貴方がいつまでも空の上でどこまで行っても逃げていることを願っています。どうか永遠に旋回していてください。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?