古本らくだやの閉店から
札幌の地下鉄円山公園駅近くの古本らくだやが昨日2022年11月末日をもって閉店した。閉店を知ったのは、10月下旬にたまたま通りかかったときで、久しぶりに立ち寄ろうと店の入り口に到着したら、店外の壁には閉店セールの文字が貼り付けられていた。
にわかには信じられなかった。
どんな店もいつかは閉店する日が来るものだが、らくだやが閉店するとは全く想像もしなかった。今年は札幌弘栄堂書店が3点全て閉店し、紀伊國屋書店オーロラタウン店、TSUTAYAの新道東店と琴似店が閉店するなど、書店の閉店ラッシュである。
そして2022年も終わりにさしかかろうとした矢先に飛び込んできたのが、らくだやの閉店であった。
セールは半額で、店主が閉店を決めてセール開催からそんなに日数も経っていなかったと思う。今思えばたまたま通りかかった偶然に感謝するしかない。店内は閉店セールを知った客でごった返していた。閉店は12月中旬を予定とのことだったが、11月に入ってから閉店が11月末日に前倒しとなり、セール内容も全品100円(100円の本は50円)と大特価に変更された。
店主のtwitterによると開店から30年経つらしい。30年前といえば1992年。自分の記憶を遡って初めてらくだやを訪れたのは、97年か98年くらいだったと思う。開店から5,6年経った頃で、内装やほのかな白熱灯の照明は今も全く変わっていない。ちょうど欲しかったシリーズものが安価で安く購入できることに驚愕したのをハッキリと覚えている。らくだや通いがはじまったのはそれからだ。
当時はまだブックオフも品揃えがそれほど豊富ではなく、今ほど店舗も多いわけではなかった。市内には数多くの古書店が健在だった。そのほとんどが今となっては姿を消してしまった。
特に用がなくても、何かめぼしいものがないからくだやに立ち寄ることがよくあった。ちょうど通学路に位置していたことも幸いして、ちょくちょく立ち寄っては、「ああ、こんな本があるのか」「次に来たときは買おう」と自分なりに作戦を立てたものだ。その作戦が功を奏したこともあれば、失敗して入手不能になった本もたくさんある。
だが2000年後半以降から、様々な事情で足が遠のき、数年に1,2回くらいしか通わなくなってしまった。再び足繁く通うようになったのは、昨年(2021年)からである。入り口ドアの前に置かれているセール本にちょうど買い逃した本をよく発見するようになったからだ。それも、ほぼ新品同様の本が一冊50円で売っているのだ。
このドア前のセール本は、とんでもないお宝が眠っている!
それからはこのドア前のセール本に注目するようになった。以前も相変わらずドアまでにはセール本はおかれてはいた。だが、本と出会うためにはジャストミートする必要なタイミングというのがあるのだ。おかげさまで、セール本で山崎豊子の大長編小説のほとんどを新品同様の状態でゲットできたのは大変な幸運である。本当にありがたい限りだ。
わざわざ交通費をかけなくても、すぐ近くに便利な古書店があるのは、とても恵まれたことだ。緊急で安く資料となる本を安く入手しなければならないときには、大変重宝した。不思議なことに、目当ての本が必ず見つかるのだから、どれだけ助けられたかわからない。
私もらくだや閉店セールに4,5回ほど通った。もう買う本はないだろうと再訪しても、あれもこれも、となってしまうのが不思議である。おかげで買い逃した海外ミステリーや日本文学の名作を安価でたくさんゲットできた。
私も周りの本好きの知人に連絡したところ、Rさんが初めて来店して17冊購入したという連絡を受けた。Rさんはその品揃えに感動し、閉店前日に再訪してさらに7冊追加購入したとのことだった。知人のMさんも訪れてたくさん購入したようだ。
ありがとう、らくだや!感謝
らくだやでいつも関心するのは店主の知識と選書眼、そしてセンスである。これがしっかりしていないと、雑な品揃えと面白くない配置になってしまう。店主が本当に本好きかどうかはそこで判断ができる。そういう意味では、自分と波長が合致した、至福の時間を過ごせる店であった。何度もお世話になった。日本文学の名作、世界文学全集の類いから、絶版本など、数え切れないくらい貴重な本が安く手に入った。いくら感謝してもしきれないくらいである。
この場を借りて感謝申し上げます。ありがとうございます。
読書を武器にせよ
本が売れないと言われて久しい。電子書籍の普及とか、活字離れとかいろいろ考えられるが、一番大きいのは、国民が経済的な余裕を失ったことだろう。円安も進み、物価も上方する経済状況で、実学志向が重視され、本を読むことの価値も変わってしまった。だが、困難な時代に活路を見いだす最も有効なの手段が読書なのだ。スマホで手軽に情報が手に入る時代からこそ、読書でしか得られない知識を武器に。困難に立ち向かっていかなければならない。
方法もプランも決まったわけではないが、読書の普及に努めなければならない。心からそう思った。