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夏に見た演劇二つ 劇団どくんご「夏型天使を信じるな」、沖縄芸術文化の箱「9人の迷える沖縄人(うちなーんちゅ)~after'72~」

季節も秋にさしかかってきた。この夏に出かけた展覧会や演劇の感想を思い出せる限り綴ってみよう。まずは演劇編。

劇団どくんご「夏型天使を信じるな」@札幌円山公園 7月11日(木)


全国をテントで旅する劇団どくんご、コロナ禍が明けて5年ぶりくらいの全国ツアー。毎回7,8月は北海道にスケジュールが組み込まれている。屋外で演劇を見るのが北海道で可能なのが、夏しかないという事情もある。これを書いている今も劇団どくんごは全国ツアーの真っ最中なのだ。

変わらないどくんご「らしさ」

主宰のどいの氏が2022年11月に闘病の末がんで亡くなった。劇団のブログでどいの氏が、がんを患っていることは公表していたが、アップしていた顔写真にショックを受けた。それから亡くなるまでわずか半年くらいだったろうか。覚悟していたとはいえ、どいの氏の死を知ったときは、なんとも胸が塞がる気持ちになり、その後劇団はどうなってしまうのか、いちファンとしては悲しみに暮れながら、どくんごの未来については、見守ることしかできなかった。それでも、劇団のテントもリニューアルして復活を遂げて、新たなスタートを切ったのだが、残念ながらラストツアーとなってしまった。

どいの氏不在となる初めてのツアーで、クォリティはどうなるのかという心配は杞憂であった。専門家の目から見たら以前との差異を挙げることも可能かもしれないが、次々と場面が展開されて、ズレを含みながらリレーのように役者がバトンを繋ぎながら台詞が即興的に繰り返される特徴的などくんごのスタイルは顕在で、「らしさ」は変わらない。

ただ、役者がテントから飛び出して会場の周辺を大胡で叫びながら駆け回る演出が「封印」されたのか、見ることができなかった。会場外の公園は普通に犬の散歩をしたり、ジョギングをする人など、日常が広がっているのだが、そこに役者が台詞を絶叫しながらテントから飛び出してパフォーマンスを繰り広げるという演出、つまり、演劇という「非日常」の空間と、テントの外にある「日常」が重なり合う奇跡的な瞬間、それこそ、どくんご最大の見せ所と言ってもよい。

終了後に劇団員の方と話す機会を持てた。テントの外に飛び出す演出は危険なのでやらない方針にしたとのことだ。劇団どくんごとしての公園は今回で最後でも、テントも新しくなったので、今後は新たな劇団として旗揚げする可能性はあるとのこと。劇団名も変わるかもしれないが、現在は未定である。かたちは変わっても「劇団どくんご」の存続を楽しみに、またテントに通いたい。

札幌演劇シーズン2024 Program Director’ s Choice、おきなわ芸術文化の箱「9人の迷える沖縄人(うちなーんちゅ)~after'72~」 琴似コンカリーニョ 8月11日(日)

プログラムディレクターが、いま、札幌の皆さんに観てほしい作品をチョイスしてお届けする新企画。札幌で道外の劇団の作品を見ることができる貴重な機会で、第一回目の今年は沖縄の劇団である。公開期間がわずか二日間だけというのが難点だったが、初日に観劇した知人がSNSで大変高い評価をしており、これは見逃すわけにはいかないと慌てて二日目にして最終日の公園に駆けつけた。実際に見ることができて本当によかったと思う。

札幌で公演された『十二人の怒れる男』からインスピレーションを得て制作された本作。1972年沖縄の本土復帰を目前に、会議室に有識者、主婦、戦争を体験した老婆、本土から移住した人など、様々な属性の人が集まってくる。本土復帰についての意見交換会のためだ。みんな椅子に座り、飲み物のコーナーも用意されているなど、やたらと細部が細かい。いざ始まると、意見が好き勝手に飛び出して収拾がつかなくなる事態に司会者は場のコントロール不能に戸惑い、参加者も困惑し、参加する意義すら見失ってしまう。休憩時間を挟んでまた再開となるのだが、舞台は暗転後、現代にワープし、それぞれの役者たちが「素の自分」となって、現代の沖縄について語り合う。そして、再び舞台は72年に戻り・・・と、現代と過去が繰り返される重層的な構造になっている。これは舞台だけでしか決して表現することができない手法だ。

今も機能不全となる話し合いという構造

この作品が「12人の怒れる男たち」と違うのは、決定のために話し合うのではなく、話し合うこと自体の意義と重要性、あるいは話し合いが行われたというアリバイ、その機能不全、歴史的な位置づけが、巧妙なリアルさで観客に突きつけるところにある。まだファシリテーションという手法も言葉も概念もない時代、ましてや沖縄でアメリカと日本について政治イシューを語り合うことがどれほどの困難を伴うのか、それは1972年も2024年のいま現在も全く変わらない。

司会の機能不全は、意見の落とし所のない、ひたすら対立と分断が続く現代の政治の構造がそっくり現れている。当事者にしかわからない、アメリカ、沖縄、そして本土を巡る古くて新しい問いは、2400キロ近く離れた札幌でも舞台を通して今も疑問を投げかける。明確な答えは、劇のラスト同様、まだ出ていない。本当に難しい問題だ。

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