
🔵ぼくがみてきたFC東京GK達6〜土肥洋一選手篇🔴
-FC東京《黎明期》を長年守り続けた大守護神
1992年当時旧JFLの柏レイソルの前身 日立へ入団。2000年J1初昇格の東京へ加入。
J2で強固な守備陣を擁した大熊東京とマッチし即レギュラーを確保しJ1開幕3連勝。その時に名付けられた『東京旋風』の立役者の一人。また同年に加入したJ1経験のある 神野、内藤、浅野、前田浩二選手らと共にチーム内にプロ意識を叩き込み、その後も長年FC東京がJ1に定着する礎を築いた東京が誇る名選手です。
土肥選手の印象を語ると長くなると思いますが語りますよ!
・とにかく試合出場にこだわる。
柏で南選手が台頭したこともあり出場機会を得るために東京の移籍しレギュラー確保していても 下手なことして他の選手がでて活躍したら自分の出番がなくなるとばかりに 試合に出続けること。それが土肥選手のプロとしての生き方。
ちょっとの怪我は怪我に入らず ん!?やばくないって言う怪我でドクター、トレーナーさんの力を全力に借りテーピングガチガチにしてでも出場する精神力は選手層が今と比べると薄かったと考えても飛び抜けています。(同様に浅利選手や藤山選手も同じようにしてテーピングガッチガチで試合出まくっていた時代)
・気迫とか迫力とか面構えとか威圧感とか
試合になるともう怖いくらいに集中している顔になりオーラもプンプンに出す。対戦相手は当然のこと、東京の選手にもガシガシ怖いくらいの声掛け、コーチングをして引き締めてました。えぇ、怖いくらいに。 それがカッコいいんですけどね。
当時の笑い話として
あぁ失点〜
あぁモニ(茂庭照幸選手)、めっちゃ土肥ちゃんに怒鳴られてる!
おぉ土肥ちゃんナイスセーブ!
ぁあぁ結局モニ、土肥ちゃんに怒鳴られてる!
ていうのがありましてね💦
あながち間違いではなかった気がしますw
・うあぁーあやばい!→これを止めるか
特に近距離のシュートストップが秀逸。基本がしっかりとしたこと前提とした中で、土壇場にはとにかくもう体のどこ当たってでもいいから失点しない!という勇気あるプレーと DFラインを抜けたボールと選手に対してのフロントダイブのタイミングはお見事だった印象です
現在の幅広いゾーンを守るGKスタイルと比べたらそりゃーそこまで広い守備範囲ではなかったですが
ここまでだったら絶対守る!という安定間がありました。
なので ここまで相手の動きやコースを守備陣が切ってくれればシュート打たれても止める!
土肥さんが止めてくれるからここまでは体を投げ出してでもやる!
っていう信頼関係があったかと思います。
その筆頭が
04ナビスコカップ決勝
ジャーンが退場(は仕方ないけどエメルソン転がり過ぎだよねw)10人の東京は浦和に攻められるも
一人ひとりがサボらず一歩一歩に魂込めて戦い今やれることを最大限にやりお互いをフォローしあった試合。
ジーコ日本代表監督時代は
川口 楢崎 に次ぐ3rdGKとして支えるなか
出場した2005年東アジア選手権
日本代表-韓国戦の土肥選手の活躍もベストバウト一つですね
・216試合連続出場!とういうことは…。
2000年の東京加入から06年のホーム最終戦までスタメンとして試合に出続けるすごさ。
出場に飢えている、コンディション調整力(代表選出されて海外↔国内移動で体調悪い時もあったが乗り越えた)がすごいのもあるのですが
声を特大にしていいたいのは
「毎年試合中にレッドカードをもらわないし、年間警告累積出場停止もない」ということ。
2024年のFC東京はカードトラブルが例年以上に多くてヤキモキしていますが(VARの影響もありますけども。。)
あの頃はリーグ戦に行くと必ずゴールマウスにいるんですよ。すごいことなんですよ。めっちゃ。不動の守護神ですよ
とまぁ 偉大な選手を褒めにほめまくり長文になってしまいましたが。
東京在籍時は足元、キック技術が不安定でミスキックから失点もあたりしましたしネガティブなこともあるんですが。(その後ヴェルディへ移籍したら格段にうまくなったんですけども。)
それを超えるポジティブなことが多々あったものすごいゴールキーパーが東京にいたということを少しでも多くの人に知ってもらいたいですね。
現在は横浜FCのGKコーチとして活動。
将来東京GKコーチとしての活躍はあるのか!?楽しみにしています。
🔵1973年7月25生 熊本県出身
🔴184cm 84kg
🔵東京在籍 1999-2007
🔴使用グローブメーカー umbro→adidas
🔵出身校 大津高
🔴前所属 柏レイソル
🔵2004 ナビスコ杯MVP
Jリーグベストイレブン
🔴2006年ドイツワールドカップ日本代表
🔵2013 Jリーグ 功労選手賞
🔴書籍