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めざせ!ADHD文化圏

──今回はリンゴさんのリクエストに応えていただきましょう。「ADHD文化圏なるものはありうるのか」。お願いします。

横道 これはめっちゃ難しい問題ですよね。

──そうなんですか。そもそもADHDって発達障害の注意欠如・多動症ですよね。「文化圏」ってどういうことですか。

横道 まず英語圏で〈autistic community〉と呼ばれるものがあります。「自閉症コミュニティ」ですね。自閉スペクトラム症者、その家族、支援者などが織りなす人間関係のことです。

──日本でいう「発達界隈」に近いですね。

横道 日本にも「自閉症コミュニティ」は存在しますが、SNSでの発達障害者やその周辺にいる人々の交流網は、いま言及なさったように「発達界隈」と呼ばれていますね。自閉スペクトラム症とADHDは併発することが非常に多いので、「自閉界隈」と「ADHD界隈」というふうには明確に分かれていません。
 そして日本では「自閉症コミュニティ」は、しばしば「自閉圏」と呼ばれてきました。この既成の概念に依拠して、『ニューロダイバーシティの教科書』などで知られる村中直人さんは、自閉スペクトラム症は「文化」の問題として再解釈できるという立場に立って、「自閉文化圏」を提唱しています。

──精神疾患なのに「文化」なんですか。

横道 面食らうかもしれませんが、そもそも文化とはなんでしょうか。ひとつとして、言語圏が文化圏を作ると言うことはできそうですね。英語圏や中国語圏のように。自閉スペクトラム症者の言語様態は独特なので、その意味では「自閉語圏」という文化圏を作っていると考えられます。

──そういう考え方がありますか。

横道 あくまで私なりの解釈で、村中直人さんの考え方と一致しているのかどうかは措いときます。
 それから自閉スペクトラム症者たちの体験世界には、高い共通性があります。それらの個々人の体験世界の集合体を「文化」と呼ぶことができると私は考えます。例えば「YouTuberたちのあいだには、YouTuberの文化があるんだ」いうのと同じような具合です。

──なるほど。そのような立論をすることで、「自閉文化圏」というものがあると言えそうだと。

横道 それでは「ADHD文化圏」はありえるでしょうか。

──まさにそれが質問内容ですね。

横道 まず問題になるのが、ADHDという概念です。DSM-5では廃止されましたが、以前はADHDには「不注意優勢型」「多動・衝動性優勢型」「混合型」という3種類のサブカテゴリーが与えられていました。

──そのサブカテゴリーって、残しておいたほうがわかりやすかったような気がします。

横道 私もそう思います。ADHDの多様性には面食らうことがあります。DSM-5で自閉スペクトラム症という概念が採用され、以前のさまざまな自閉症のサブタイプ(広汎性発達障害、アスペルガー症候群、カナー型自閉症など)が廃止されたことは、私なりには納得できるのですが。

──なぜですか。

横道 自閉スペクトラム症者は、多様な特性に濃淡の偏差があるものの、当事者の個々人のあいだで高い類似性が認められるからです。しかしADHDにはそういう類似性が薄いと感じることが多いです。

──そういうもんですか。

横道 村中直人さんは、2021年1月7日にこんなツイートを残しています。「今夜はADHDに関するツイートが多く流れてくるので便乗して予言的なことを少しばかり/ADHDという精神医学的カテゴリーは、そう遠くない将来解体されてなくなると私は予想しています/ASDは統合される方向で大きく動いたけれど、ADHDは分割の方向の可能性が高い/近年の研究動向を見てるとそう思います」

──ふうむ。

横道 以前の3つのサブカテゴリーとは異なるとは思いますが、村中さんは、ADHDとして知られてきたものは、複数の種類の精神疾患がごっちゃにされているものと考えられ、解体される可能性が高いと指摘しているわけです。
 念のために言っておくと、精神疾患とは「そもそもそういうもの」と言うこともできます。つまり精神疾患の多くの当事者が罹患しているのは、「精神疾患スペクトラム」です。
 もうひとつ別の人のツイートを引用します。

──どうぞ。

精神科医の柏淳さんは2022年12月28日に、自閉スペクトラム症とADHDが根本的に異質だと考えるという見解をツイートをしました。「ASDでは基本的には定型発達者に見えるものが「見えない」ので非連続=種族の違い。でもADHDは定型発達者と連続的。なのでASDは質的な違い、ADHDは量的な違いと考える」。
 このツイートからは、柏さん独自の「種族論」がわかりますね。ADHD者は定型発達者と連続戦上にいる種族、自閉スペクトラム症者はそれとは別の種族。「種族」というと強烈ですが、実際には村中さんが「文化」と呼ぶものにほとんど等しいと思います。

──しかし横道さんもさっき、自閉スペクトラム症とADHDはきわめて併発しやすいと言っていましたよね。定型発達者とADHD者が同じ「文化圏」に属していて、それと「自閉文化圏」が異質というなら、併発問題はどうなるんですか。

横道 柏さんは、2022年3月22日につぎのようなツイートもしています。「現時点での私の仮説。本質的に両者は別者であり、DSMでASD+ADHDという診断がつく人には、ASD+二次性ADHDの人と、ADHD+二次性ASDの人がいる」
 先ほどの見解と合わせると、柏さんはこう考えていることになります。人間には定型発達者と自閉スペクトラム症者の2種類がいる。ADHD者は定型発達者の内側に生まれる。そしてADHD者が二次障害として自閉スペクトラム症的な性格を帯びることもあれば、自閉スペクトラム症者が二次障害としてADHD的な性格を帯びることもある。

──それなら、やはりADHD文化圏は存在しない、あるいは非常に曖昧なものということなんですね。定型発達文化圏と自閉文化圏はあるけど、ADHD文化圏は定型発達文化圏のうちにぼんやりと存在しているものだと。なんとなく好きじゃない考え方だな。

横道 私としては、村中直人さんと柏淳さんのツイートを引用にしながら、私なりに整理することに価値があると思ったんです。私の整理した内容が「正解」だとは思いません。念のために言っておくと、私は村中さんも柏さんも傑出した「脳の多様性」(ニューロダイバーシティ)論者として、基本的に深く信頼しています。

──私としては「自閉文化圏」があるとしたら、「ADHD文化圏」もあってほしいと思います。「限局性学習症文化圏」も「発達性協調運動症文化圏」もあってほしいです。

横道 私には自閉スペクトラム症もADHDも、限局性学習症も発達性協調運動症もあるので、その気持ちはよくわかります。それらの発達障害を持つ人は、ひっくるめて「脳の少数派」(ニューロマイノリティ)と表現でき、そのような人々の集合体を文化圏と考えることができる、というのが私の立場です。
 「自閉文化圏」は私たちの既成の思考法に揺さぶりをかける魅力的な考え方ですが、分断を生むようなことになると、いろんな人が不幸になることには注意が必要ですね。ツイッターで知りあったイギリス人の自閉スペクトラム症者は、英米の自閉症コミュニティにカルト化の傾向があると警鐘を鳴らしていました。

──発達障害者が迫害の対象になってしまいますね。

横道 そうなんです。
 しかし自閉文化圏について思考をめぐらせる営みは、貴重なものだということもたしかです。たとえば女性解放運動や黒人解放運動だって、従来の価値観を守ろうとした男性たちや白人たちの眼には、女性たちや黒人たちが「平等」を訴えて立ちあがっているのは、「カルト的」な動きだと感じられたのではないでしょうか。
 それにもかかわらず、それらの解放運動は存在しなければならなかったことは、現在では明らかでしょう。そのような運動がなければ、こんにちの女性たちや黒人たちの立場は、ますますひどいものだったはずです。

──考えさせられる問題ですね。

横道 最後に私の最近の逸話を紹介します。
 今月の初めに電子レンジが壊れて、新しい電子レンジを注文しました。商品はすぐに届いたので、私は開封して段ボールをビリビリに破って廃棄しました。
 続いて京都市の窓口に電話で連絡すると、一定以下のサイズなら区役所で廃棄できると教えられました。物差しで測ろうとしたのですが、物差しを入れておいた場所を探しても、見つかりません。それで私は近くの百均に物差しを買いに行きました。帰ってきて測ると、サイズはバッチリOKでした。 
 では、どうやって運ぶか。新しい電子レンジが入っていた段ボール箱があれば良かったのですが、私はそれを破壊して、さっきその残骸をゴミ箱に突っ込んだところでした。
 数日にわたって悩んでいたのですが、ある朝、目覚めた瞬間に、旅行用のキャリーバッグに入れて持っていけるのではと思いつきました。試してみると、ぴったり収まります。それで、そのキャリーバッグを引いてさっそく区役所に行きましたが、建物に入れませんでした。祝日だったからです。それでまたキャリバーバッグを引いて戻りました。
 数日後に再挑戦しようとして、私はまた重いキャリーバッグを引きずりながら、区役所に向かいました。窓口まで何とか運んだとき、担当者はなんと発言したか。「サイズが大きすぎるので廃棄できません」と言ったのです。私はその「サイズ」を体積のことだと思っていて、それだと規定の範囲内なのですが、担当者は縦・横・奥行きの一片でも規定のサイズを超えているとダメだと言いました。それで私はふたたび電子レンジの入ったキャリーバッグを引いてうちに帰りました。
 家に着いた私は京都市の窓口に電話して、経緯を説明しました。コンビニで買った廃棄用のシールを貼って指定した日時に家のまえに出しておくようにと言われました。こうして、ようやく私は電子レンジを廃棄できました。
 その数日後、見つからなかった物差しが見つかりました。

──絵に描いたようなADHDですね。

横道 はい。私はふだん、自閉スペクトラム症とPTSDと依存症のほうが、私にとってADHDの問題よりもずっと大きいと悩んでいます。しかし私の人生を振りかえっていくと、大きめの失敗は、ADHDから生まれることのほうがだいぶ多いような気がします。少なくとも私はいまはっきりと、じぶんはADHD文化圏に属しているなと思っています。

──ADHD文化圏を作って盛りあげよう! という運動を起こしていきたいですね。


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