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モノとカネと豊かさ
妻が友達の結婚式だから里帰りしてる。
だから話し相手がいないので、どうせ誰も見てないnoteに日報のようなものをしたためる。(なんでこんな使いずらいエディタでみんな書いてるの)
これが重たいタスクになるのは避けたい。
なので、ルールを作る
・15min以内に書き終え、終わらなければ明日に続く
・駄文であろうが推敲しない
・決して人の為に書こうとしない
とする。
2020年に増えたモノ
去年はたくさんモノを買った。
クルマ、ウォークインクローゼット、ベッドフレーム、バルミューダのトースター、IKEAのベランダのウッドデッキ、キャンプ道具一式。
必要最低限しかなかった我が家にモノがたくさんやってきた。
”所有すること”にあまり価値をおいていなかった。
いいや、”所有できなかった”という実態が長く続いたことによって、所有できないことに慣れていたという方が正確か。
いろいろモノを手に入れたことで、生活の水準がグーンと上がった気がする。
いや、確かに上がってモノのおかげで豊かになったし幸せにもなった。
モノで幸せは決まらない
去年、なんとなく以前から気になってた映画で、
『365日のシンプルライフ』
って映画を見た。映画というかドキュメンタリータッチで進む、
なんとも山場の無い不思議な映画だった。
内容は、モノに溢れた生活を見直す為に、家の中のモノを全部倉庫にぶち込むところから映画は始まり、一日一つ倉庫に必要だと思うものを取りにいくって感じ。
この中で主人公のおばあちゃんが『モノで幸せは増えない』って趣旨のことを言ってて、これは本質的だなーって思った。
モノとカネ
NOT4Hの自身の半生を振り返る『しくじり先生』で少し話したが、自分の20代はとてもお金で苦労した。
もともと、自分の家は、高齢の父親と、パート勤めの母親がなんとかやりくりしている状態。
貧乏でも生活に困窮することはなかったように思う。
でも、お金がないことにより『選択の自由』がないという場面は子供の頃から社会人になってからもずっとあった。その一つ一つのシーンを鮮明に覚えている。
悔しかったからだ。
だから、カネが欲しいとずっと思ってた。
実際、2019年と2020年は生活にゆとりができ始めた。
2018年と2020年での私の年収はおよそ6倍くらい違う。
カネと豊かさ
カネが増えてモノが増えたので、豊かに感じるのではない。
カネが増えて、選択することができ、豊かになった。
”選択できること”と”それしか選べない”ことの差はデカイ
なか卯にしかいけないのと、なか卯もいきなりステーキもいけるし、なんならむしろ食べなくてもいいや。って感覚は全く違う。
この選択の自由が生活の余白になり、
余白があるから時間にも精神的にも豊かに感じるのかなーと思ったりする。
モノでもカネでも幸せは増えないが、
選択できることによって生まれる豊かさや幸せってある。
物欲はもう無い。何も無い。
でも、今年もめっちゃ稼ぎたい。
あくまで妻との時間を大切にしながら。