来年の手帳の意味
社会人というものになってから毎年手帳を買うのを楽しみにしている。
昔システム手帳なんていう、分厚くて重い手帳があったな。あれを持っているだけで仕事ができる人に見えた(笑)。
いや、もっと昔で言えば子供の頃にスパイ手帳(という名前だったかな?)というものがあった(笑)。秘密文章を書ける紙があって、水に浸けるとその紙が溶けてしまうのだ。
ここ数年はコクヨの「普通のノート」にそっくりな4mmぐらいの薄い手帳を使っている。それに加えてGoogleのカレンダー。
そして2025年の手帳もコクヨの手帳を買ったのだが…。
なんだか手帳というものに意味があるのかどうかが曖昧になってきた。会社員の方々はきっと必須の道具だと思うのだけど、スケジュールを確認するだけならGoogleカレンダーで事足りるではないかと(もうそうしている人も多いだろう)。
それよりもなによりも、なんだか手帳に夢を感じられなくなってきた。あのシステム手帳や、スパイ手帳には夢があった。なにしろ持っているだけでワクワク感があった。
コロナという時代があり、それを経てからの戦争、不景気、世界的な問題、気候変動、ゲリラ豪雨、地震…。
誰しも先行きが全く見えない時代。
正確に言えば生まれたときから先は見えなかったし、いつでも見えなかったのだけど、毎年お正月にはなんとなく先に希望が待っているような気がしていた。
先には明るい未来があると思って、手帳に目標やら、夢やら、ビジョンやら、腕立て伏せや腹筋の回数などを書いてきたわけだけど…。
もうアメリカにさえアメリカンドリームはないのだから、夢なんて叶う可能性が昔より低くなってきてるような気もする。
今、この「手帳」ってやつは必要なんだろうか…とネガティブに手帳をとらえつつある今年。
しかしだ!
そうだ、そんなときだからこそ、嘘でもいいから、予想がつかなくてもいいから、叶わなくてもいいから、夢や希望を書けばいいんじゃないだろうか、手帳のトップページに!\(^o^)/。
それが夢っていうものなのかもしれない。
と、手帳を手にして思った昨今。