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反脆さを見つけるため階層構造に注目する
今日は『反脆弱性』(著:ナシーム・ニコラス・タレブ)から「生物は集団、集団は生物」を読みました。
部分(たとえば個体)が脆いことで、全体(たとえば種)が反脆くなる。誰かの反脆さは誰かの脆さから得られる。脆さと反脆さは表裏の関係にある。新興企業やレストランの事例を用いて著者が説いたことです。
この考え方は、全体を部分に細分化することで生み出される階層構造を捉えたものです。階層構造と反脆さにはどのような関係があるのでしょうか。
この階層構造はどう機能しているのか? 樹には無数の枝があり、枝は小さな樹に見える。さらに、その枝にはもっと小さな枝が無数にあり、それも小さな樹に見える。これは数学者のブノワ・マンデルブロが提唱した「フラクタルな自己相似性」の表れだ。
「フラクタルな自己相似性」という言葉が登場しました。フラクタルとは「全体と部分が相似形になっている」性質で、逆にいえば、ある部分を拡大すると全体と同じ構造が浮かび上がってきます。
同じような階層構造は色々なモノにあるが、私たちが見ているのはいちばん外側にすぎない。細胞は細胞間分子の集まりであり、生物は細胞の集まり、そして種は生物の集まりだ。種は一部の生物を犠牲にして強くなる仕組みになっているし、生物は一部の細胞を犠牲にして強くなる。
「細胞は細胞間分子の集まりであり、生物は細胞の集まり、そして種は生物の集まりだ」と著者は述べていますが、一つだと思えることが、細分化してみれば「集合体」であると意識することはあまりないように思います。
私たちが目にする物事には、私たちの「スケール(規模・大きさ)」が存在しているからです。
脆さ・反脆さは「システム」に備わった性質であり、それはシステムを構成する要素間の相互作用が深く関わっています。一方、複数の要素が互いに絡まりあっている複雑系には「因果の不透明性」が存在することから、原因と結果の明確な区別が難しく、「ありのままをありのまま捉える」他ないとも言えます。
「ありのままをありのまま捉える」と言っても、その前に、近くで見たり、離れて見ることが否定されているわけではありません。全体を構成する要素間のつながりを考える上で「どのような階層構造が存在するのだろう?」との問いを考える上では、時に細分化も必要になるのかもしれません。
絶食すると、悪いタンパク質が先に分解され、体内で再利用される。このプロセスは「オートファジー(自食)」と呼ばれている。これは適応度のいちばん低いタンパク質を選んで殺す、純粋な進化論的プロセスである。老化タンパク質やオートファジーのような具体的な生物理論を受け入れるかどうかは別としても、外部からストレスを受けると生物内部の生存力が働いて、生物全体が強くなるという考え方そのものは理解できるはずだ。
オートファジー(絶食)も人体の「反脆さ」の表れである。自分の経験に照らしても、絶食がしばらく続くと空腹感が薄れて身体が温かくなりました。そのようなとき、体内の細胞が活性化しているのではないか、と。
「悪いタンパク質が先に分解され、体内で再利用される」との言葉からは、適応度が低い場合に、場所や配置を変えることの必要性を感じました。
反脆さは「自己修復・入れ替え・再利用」などの言葉でも特徴付けられるわけですが、それはつまり「流れが滞留しない状態」なのではないかと思ったのでした。