触れるように考える
今日はダニエル・カーネマン(心理学者、行動経済学者)による書籍『ファスト&スロー あなたの意思はどのように決まるか?』より「連想マシン - 私たちを誘導するプライム(先行刺激)」という章を読みました。一部を引用してみたいと思います。
システム1の驚くべき仕組みを探る手始めとして、まずは次の言葉を見てほしい。「バナナ げろ」(中略)あなたの頭の中では、「バナナ」と「げろ」が自動的に連結され、因果関係を形成したことだろう - そうすべき理由は何もないのだが。こうした一連の反応は瞬時に、自動的に、何の努力もなしに起きる。あなたがそうしたかったわけではないし、止めようとしても止められない。これがシステム1の働きである。
あなたが二つの言葉を見た結果として起きた一連のことは、連想活性化と呼ばれるプロセスの副産物である。最初に思い浮かんだことがまた別のことを呼び起こし、頭の中に次から次へとつながっていく。こうした複雑な一まとまりの現象の基本的な特徴は、一貫性が保たれていることである。一つひとつが他と関連づけられ、支え合い、強め合っている。
あなたの身体は、実際に嘔吐に対する反応をいくらか弱めた形で体験した。感情的な反応や身体的な反射も、この出来事に対するあなたの解釈の一部である。認知科学者が近年強調するように、認知は身体化されている。あなたは身体で考えるのであって、脳だけで考えるわけではない。
しかも、意識に記録されるのは、そのうちのごくわずかでしかない。連想思考の大半はひそやかに進行し、意識的な自己からは隠されている。(中略)あなたは、自分で思っているよりずっと少ししか、自分について知らない。
何かを見たり、声に出したり、味わったり。何かをしていると、突如として頭の中に何かの映像が浮かんでくることがあります。
引用した部分にある「バナナ げろ」という2つの言葉を目にしたときも、その二つの言葉が結びついたような映像が頭に浮かんできました。たしかに反射的に浮かんできたもので「思い浮べよう」としたわけではありません。
「何でそう思ったんだろう?」と考えても答えが出ない「連想」という現象がとても気になっています。
システム1という言葉出てきましたが、脳は二つのシステムが存在し、心理学ではこれらをシステム1、システム2と呼ぶそうです。本書ではそれぞれ以下のように定義されていました。
「システム1」は自動的に高速で働き、努力はまったく不要か、必要であってもわずかである。また、自分のほうからコントロールしている感覚はない。「システム2」は複雑な計算など頭を使わなければできない困難な知的活動にしかるべき注意を割り当てる。システム2の働きは、代理、選択、集中などの主観的経験と関連づけられることが多い。
「げろ」という言葉からおぼろげに映像が思い浮かんだとき、書籍にもあるように胸から何かが込み上げてくる感覚もありました。ただし、「言われてみれば...」というぐらいの弱い感覚です。「認知は身体化されており、脳だけではなく身体で考えている」ということを実感した気がします。
同時に、何かについて思い巡らせるとき「身体の感覚、声に耳を澄ませる」ことができているだろうか、という問いが浮かんできました。
何かを考えたり、物事を進めていて行き詰まってしまったとき、頭だけで考えているのかもしれない。そう自覚したとき考えることから離れて「連想」を広げてみようと思います。
「触れるように考える」
そんな言葉が浮かんできました。