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小さな流れ、大きな流れ〜合理的とは3つの理を組むこと。論理・情理、そして倫理〜

より良き未来に向かい、建設的に議論を尽くした一日。

合理とは「理を組むこと」であり、論理・情理、そして倫理の3つの「理」を組んでゆきたい。そのようなことをお伝えしてからの場となりました。

謙虚さと尊敬をもって。

交わされる言葉、想いは時に共鳴し、時にゆらぎ、そして輝きを放つ。

計画しても、しすぎてはいけない。

ゆらぎをしなやかに受け止めながら、小さな流れが生まれ、やがて小さな流れの束が大きな流れとなり、うねりが生まれてゆく。

ただただ充実した一時。

夏をいろどる風物詩のなかで、花火ほど魅惑的で、そしていかにも日本的な美を見せるものは少ないだろう。川の水面に映る打上花火、縁台のまわりにはじける線香花火。日本人なら誰しもその鮮かな光彩と、それが消えたあとに残る闇の深さを見つめた記憶があるはずである。あるときは菊の花を描き、あるときは松の葉のかたちをつくり、それは獰猛であるはずの火を、優しい心で飼いならした芸術だといえる。セーヌ河のうえでも、ハドソン河のうえでも、私は日本の花火ほどは絢爛として、しかも典雅な火の饗宴を見たことがない。

山崎 正和『混沌からの表現』

いうまでもなく、火を敬い、火を憧れる心は世界中にひろがっている。有名な京都の大文字の送り火にしても、起源はたぶん中国か、遠く西アジアの信仰に求められる。光を造形芸術にまで高めることなら、西洋のランプや燭台ははるかに日本の行燈をしのいでいる。おそらく問題の花火そのものも、原型は火薬とともに南蛮伝来の魔術であったにちがいないのである。けれども花火は、たんに燃えつづける光と焔の芸術ではない。それは一瞬に燃えあがり、たちまち燃えつきる変化によって人の心を魅惑する。灯火が光の永遠性を象徴しているとすれば、花火は闇のなかに生成する火のいのちを象徴しているといえる。

山崎 正和『混沌からの表現』


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