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「不変性」をモノサシとして「固有性」に目を向ける
今日は蔵本由紀さん(物理学者)による書籍『新しい自然学 - 非線形科学の可能性』より「ニュートン法則の巨大な不変性」という一節を読みました。一部を引用してみたいと思います。
運動法則の同一不変性とは、実現される運動の無限の多様性にもかかわらずそれらがすベて同一のルールに従っているということである。同様のことは囲碁や将棋のルールとそれらの具体的対局との関係についても言える。ニュートンの運動法則がもつ不変性の高さは驚異的である。この法則は、第一に微分方程式の形で表現され、第二に力という量を含んでいるが、これら二つの事実のおのおのに巨大な不変性を見ることができる。
法則が巨大なブランクを含むことによって、このように高い同一不変性が獲得されるのである。日常の経験世界では、場所と時間はその場所その時間に固有の意味をもっている。ミクロ世界の科学的記述ではこの事実はひとまず視野の外に置かれ、ひたすら不変性の高い法則が追求される。そして、ニュートンの運動法則とその解との間の関係のように、法則の具体的実現はブランクをデータで埋めることによってなされる。これによって個別性・多様性をもつ世界が現れる。
「不変性」という言葉には、何とも形容しがたい魅力があります。
物体の運動に関してニュートンが導いた法則は、運動方程式 F = ma(F:力、m:質量、a:加速度)として記述されます。速度は物体の位置の時間的変化(一階微分)であり、加速度とは速度の時間的変化(一階微分)です。
つまり、運動方程式とは物体の位置x(t)に関する時間での二階微分を含んだ微分方程式です。この方程式を解くと、ある時刻tにおける物体の位置x(t)が時間tの関数として導かれます。物体の質量、物体にはたらく力が分かれば、その物体の位置(軌道)が完全に決まる...という、不変性の高い法則です。
ある物の運動の法則があるからこそ、何かを意図したとおりに操作したり、予測どおりに物を動かしたり。あるいは、自分自身の身体を動かすときも、無意識のうちに運動法則にしたがっています。その無意識に支配されている法則に気づいたニュートンは偉大だなと思うわけです。
不変的な法則が存在するとすれば、その法則を理解すると「意図どおりに」という意識が芽生えてきます。コントロールしようとする。
一方で、万物が不変的な法則に従うとしたとき、その法則が従う物は具体的で個別的です。
「日常の経験世界では、場所と時間はその場所その時間に固有の意味をもっている」
たとえ、あらゆる物が不変的な法則に従うとしても、その物が持っている「固有な意味や文脈」に目を向けたいものです。
その物にはその物が秘める歴史があります。
その人にはその人の歩んだ歴史があります。
「不変性」をモノサシとして「固有性」に目を向けてみる。
「固有性」を「不変性」に押し込めるのではなく、「固有性」を「固有性」として捉える。
そんな心構えでいたいものです。