DNAというデジタルデータ(情報の物質化)

今や耳にしない日はないほどに「デジタル」という言葉は広く使われている。しかし「デジタルとは何か?」と問われると、多くの人は答えに窮するのではないだろうか。たとえば、IT(Information Technology:情報技術)やコンピュータを連想して、「デジタル=IT、コンピュータ」と答えてしまいたくなるかもしれない。

いま『生命はデジタルでできている 情報から見た新しい生命像』という書籍を読み進めているけれども「生命はデジタルでできている」という表題は、「デジタル=IT、コンピュータ」というイメージを壊すのに十分だと思う。「生命とは何か?」という細かい話は一旦横においても、まずなにより人である私自身は"有機的"な生命体なわけで、デジタルという言葉の"無機的"な印象は先入観や思い込みに過ぎないのかもしれないと思えてくる。

本書からいくつか言葉を引きながら、デジタルという言葉の奥行きを知り、先入観や思い込みが外れてゆく過程を分かちあえたらと思う。

さて、そんな生物全般を対象にできる分子生物学における中心となる教義、セントラルドグマとはいかなるものか。そのためには、まず、DNAについて説明することから始めないといけない。DNAはデオキシリボ核酸の省略形であり、デオキシリボース(五炭糖)とリン酸、塩基から構成される核酸である。塩基はプリン塩基であるアデニン(A)とグアニン(G)、ピリミジン塩基であるシトシン(C)とチミン(T)の4種類しかない。DNAはこのたった四種類の核酸が一次元的に繋がって非常に長い紐状の分子になったものである。驚いたことにこのDNAはなんと、一部のウイルスを除きすべての生物に共通である。

『生命はデジタルでできている 情報から見た新しい生命像』

まず「セントラルドグマ」という言葉が登場する。なんとも言えない重厚な響きを持つ言葉である。「セントラル(central)」とは「中心的な」という意味で、「ドグマ(dogma)」は宗教や宗派における「教義」を表すため、セントラルドグマは「中心的な教義」となる。

あらゆる生物は「ATGC」という四種類の核酸がつながった「分子」を共通して持っているとされる。分子は「物質」であるから、生物は「ATGC」の並びで構成されていると捉えられる。実際には「リアルな」物質だけれど、「ATGC」という「記号」の並びに変換できるところがじつに興味深い。

普通のバクテリアのDNAは数百万塩基の長さ「しか」ないのに対して、ヒトのDNAの総長はなんと三〇億塩基の長さがある。バクテリアでも数百万、人間に至っては数十億という長さのDNAはいったい、どんな役目を果たしているのか。それはごく単純化してしまえば、バクテリアなり、人間なりの生物がどんな形でどう機能し、どのように生存しているのかの設計図をなしているのである。

『生命はデジタルでできている 情報から見た新しい生命像』

そして、DNAつまり「ATGC」の配列が生物の形や機能、生存までを決めているというのは驚くばかり。ごく微小なサイズの生物であっても、その在り方や成長のプロセスは最初から「設計」されている。

たとえば、ごく小さな種から大木が育つとして、大木としての情報が全て種の中に詰まっている。情報が「圧縮されている」とも言えるかもしれない。分子という「リアルな」物質の並びに「情報」が圧縮されて詰まっている。この辺からリアルな世界の「デジタルっぽさ」を感じ始めた。

さて、この設計図を生物はどのように読んで実際に生物という実体を作っているのか、という原理がセントラルドグマである。DNAという名の設計図は、いわばA、T、G、Cという四種類の記号の並びで記録されたデジタルデータなわけだが、それをどうやって読み出しているか?

『生命はデジタルでできている 情報から見た新しい生命像』

「A、T、G、Cという四種類の記号の並びで記録されたデジタルデータ」がDNAであり、このデータを読み出して生物は実際に形を成している。情報が物質化され、生命が出来上がっていくのだと直感した。「情報の物質化」という考え方を通して「デジタル」という言葉の奥行きを感じることができるかもしれない。そんな期待を胸に、DNAというデジタルデータの読み出し方の理解を深めていきたい。

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