銭湯に行って靴をしまう時。
空いているロッカーを探す時。
ふとデジタル時計を見た時。
サウナ室の12分計の長針が何の数字を指すか。
数字を気にすること、ありませんか?
わたしは、あります。
「足して10になるロッカー番号にするか」
とか
「やべ、4:44分だ!44秒になった1秒間、目を逸らしていよう」
とか。
これ、何となくの自分ルールなわけです。
別に足して10になろうが4:44分を見ようが何が起こるわけでもないわけで。
子供の頃やった、走る車のナンバープレートの色集めゲームと何にも変わらない。
「学校に着くまでに緑ナンバーを5台見なかったら○ぬ」
みたいなゲーム。
それで思い返してみると、
「消しゴムに願いを書いて使い切ったら願いがかなう」
「赤色のペンで好きなひとの名前を何回書いたら思いが成就する」
「小指の爪を伸ばすと〇〇が叶う」
みたいなの、子供の頃たくさんあった気がする。
大人になるにつれてやらなくなったけど。
そういう「願掛け」みたいなものはきっと昔からあるんだと思うのだけど、
どうして消しゴムに好きなひとの名前は書かなくなったのに、
いまだに銭湯のロッカーの数字は気になるのだろう。
日頃、見かける回数が多いから?
いや、赤ペンも車のナンバーだっていまも見かけるし…
思い入れの違い?
いや、別に銭湯のロッカーに思い入れはない。
やらなくなった「願掛け」といまも気になる「数字」の差はどこから来るのか、ちょっとわからないなあ、と
この記事を書いている今、6時43分です。
「特にひっかかる数字じゃないなあ」