責任について

むかし、ある現場で私が書いた脚本の収録の際、役者の方に「この台詞、日本語として間違いですが、意図を教えてください」と言われたことがある。

続けて、「意図に納得出来なかったら正しい日本語にしたい」と。
もちろんその台詞はわざとキャラクターを立てるために間違えた日本語を使ったのだが、役者さんにそのあと言われた言葉に衝撃を受けた。

「間違えた日本語を話したら私が間違えた言葉を使っていると思われます」

私はそう言う意味で軽く日本語を書いていたのかもしれない、と思った。
そのあと、プロデューサー、監督などを交えて打ち合わせをした。
最終的には私の書いた脚本の台詞通りになった。

だが、私が正しかったと言いたいのではない。
他にもたくさんのスタッフが関係しているのだが、単純にその場にいたスタッフのことだけで話す。

プロデューサーはビジネス面での責任を負っている。もちろんクリエイティブ部分についての責任もあるが、主にビジネス面の最終責任を担う。
だから、プロデューサー視点から言えば、ジャッジはビジネスとして最終的に正しい(と思うか)か、だ。

監督はクリエイティブ部分の責任を負っている。判断基準は作品として正しいか、だ。

役者は演技の責任を負う。
演技が正しいかどうか、だ。パフォーマーとしての責任は役者にある。

脚本家は物語の構造やキャラクターの成り立ちについての責任を負う。物語の進め方が正しいか、台詞が的確か、その責任がある。

もちろん、全ての役職、職域は重なり合う部分があるし、それをすり合わせながら進んでいく。
それぞれの役職で責任を全うしないといけない。

自戒を込めて思い出したことをメモするつもりで書いた。

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