自由法曹団の共同親権反対決議を斬る②
2 予想される紛争の増加
同項の第一文、
「要綱によれば、離婚時父母の協議により共同親権とできる(以下「合意型共同親権」という。)だけでなく、父母の協議がなくても、裁判所が共同親権を命じることができる(以下「非合意型共同親権」という。)。」
これはそのとおり。(以下、本稿でも同じ略語を使用します。)
同項の第二文、
「父母に婚姻関係も事実婚関係もない場合であっても、父が子を認知すれば(出生後の認知に母の同意は不要である)、共同親権の申立が可能となり、裁判所が共同親権を命じることができる。」
これが何を言いたいのか、非常に理解に苦しんだ。「父母に婚姻関係も事実婚関係もない場合」で女性が子を出産して母となる場合として
・母が父と交際していたが、交際中または交際終了後に出産した場合
・母が強制性交により妊娠・出産した場合
・母が既婚男性と不貞の関係を持ち、出産した場合
・母は婚姻も交際も望んでいなかったが、子どもが欲しくて精子提供のような形で出産した場合
など、いくつかの事例を考えたものの、どれも相当に稀有な事例だし、一般論として認知は子の利益となります。父には養育費の支払い義務が発生しますし、父の法定相続人ともなるからです。確かに、法文上は命じることができますが、裁判所がそのような審判を出すには相当に丁寧な調査と共同親権にすることで確実に子の利益が図られるといった事情が必要とされるでしょう。
なにげに読み飛ばしてしまいそうな箇所ですが、実はここにも『子の利益よりも母親の利益が大事』という、決議の背面に潜む思想を読み取ることができるのです。(これは非常に重要な問題ですので、最期に詳述します。)
親子関係の規律が大きく変わるので紛争が増加することは否定しませんが、逆に「親権争い」という離婚の一大争点がなくなることで離婚紛争が減少することもありえます。この点は試行錯誤するしかないと思っています。
大事なことは、紛争が増加するからと言って、子どもや別居親(非親権者)の人権侵害を放置してよいのかという点です。そんなはずはありません。人権侵害がある以上、その是正に取りかかるのは国家の義務です。
3 DV・虐待事案を除外する方策が講じられていない合意型共同親権
決議は、「日本の離婚の約9割は裁判所が関与しない協議離婚だが、その際に、どのような「合意」をするかは当事者に委ねられており、必ずしも双方が真摯に納得した「合意」が成立するとは限らない実情がある。」と述べています。
まず余談ですが、「真摯に納得」というのはおかしいです(たぶん、某憲法学者の言説に依拠したのだと思いますが)。一昔前、『成田離婚』という言葉が流行りましたが(最近はスピード離婚と言うそうです)、結婚の際にも「真摯な合意」は要求されていません。普通の合意で足りるでしょう。
ここから本題です。『協議離婚では守られないDV・虐待事案の被害者を単独親権制度は守っているのか』という重大な問題があります。
DV加害者が被害者を追い出したり、子の連れ去りをして、自分を優位な立場において被害者に離婚と親権者を加害者に方にせよと迫る場合を考えてみれば、答えは明らかです。そして、現行法ではDV被害者がいったんそれを受け入れてしまえば法的救済を得ることも非常に困難です。要綱では、この場合のDV被害者に法的救済の途を開いています。すなわち、要綱第2の2(1)において、この場合にDV被害者は家庭裁判所に自己の単独親権もしくは共同親権への変更を申し立てることができるとされています。「共同親権になぞしてしまうと、DVが継続するではないか」と思う方もいるかもしれません。その場合には、相手方のDVを立証して自己を単独親権者とするように改めて申立てをすることも可能です。(この点は、要綱よりも改正法案の条文に関わる点ですので、別の記事で論じます。)決議では、このような申立てをすることも「大きな負担を強いられる」と言っていますが、法的救済の途がないことに比べれば、どちらの制度が良いかは明らかでしょう。
では、虐待事案ではどうでしょうか。私は、これは現行の単独親権の方が共同親権よりも危険であると考えます。それは、単独親権では子どもを見守る親は1人だけなのに対して共同親権では2人になること、単独親権者自身に虐待がなくても単独親権者の再婚相手や交際相手からの虐待のおそれを全く排除できないからです。子どもが虐待被害の救済を申し出ることは不可能(乳幼児~小学校低学年くらい)もしくは著しく困難(小学校中学年くらい~成人)です。決議は、こうした子どもの不利益に目を瞑り、もっぱら母親の利益だけを考えています(「母親」としたのは決議文中の例に母親と書かれているため)。
4 共同行使を支援する制度が欠落した下での非合意型共同親権における紛争
決議は、「実際には、裁判所が共同親権を命じた後、具体的な意思決定が円滑にいかず、結局単独親権への変更を改めて申し立てざるを得なくなるといった紛争の増加が強く懸念される。」と述べています。果たして、これは本当でしょうか。
同項の冒頭に「非合意型共同親権は、共同親権への合意自体ができない父母に対し、裁判所が、『子に関する重要事項は父母二人で決定すべき』と命じる制度である」と述べられています。私は、この点が非常に重要であると考えています。つまり、協議離婚と異なり、裁判所という第三者が離婚と共同親権の決定に関与する仕組みがあります。裁判所で離婚をする際には、『調停⇒離婚』という手続きを踏みます。協議ができないほど関係性が悪化している当事者ならば、代理人弁護士を依頼することも多いでしょう。仮に、両当事者が弁護士に依頼しなかったとしても、調停委員や裁判官という第三者が加わります。そして、一般的には弁護士も裁判官も紛争の再燃という事態は望みません。ですから、非合意型共同親権を裁判所が命じるような場合でも、将来当然に発生するであろうイベント、たとえば子の進学などの問題については調停での和解または裁判手続外の合意といった形で取り決めをするという運用が図られるのではないかと考えています。そのような運用が定着すれば、紛争の増加という懸念も少なくなり、当事者が単独親権への変更を望むという事態も抑えられるでしょう。
5 子に関する重要事項を決定できないおそれ
私が決議を読んで、いちばん腹立たしく、また呆れかえったのがこの項です。決議は、
「例えば、離婚後、子と暮らす母が旧姓に復氏したため、子の姓も母の旧姓に変更しようとする場合に、父の合意が必要となる。
子と暮らす親が再婚することとなり、再婚相手と子が養子縁組をするためには、元の配偶者の合意が必要となる。
子と暮らす親が、子を保育園に入所させるためにも、元の配偶者の合意が必要となる。
子と暮らす親が、就職や転職、親の介護等のために遠方に転居しようとする場合、子の居所を変更することになるので、元の配偶者の合意が必要となる。」
と四つの事例を挙げています。
まず、「氏の変更」ですが子どもにも氏名で表象される人格の同一性を保持する権利はあります。それを「子と暮らす母」の一存で変えてしまって良いのでしょうか。自由法曹団は、選択的夫婦別姓の制度に反対しているのでしょうか。もし、選択的夫婦別姓制度を求めているならば、その根拠はいったい何に求めているのでしょうか。無思慮にもほどがあります。
次に、養子縁組ですが例に挙げられているのはいわゆる連れ子養子です。子が15歳未満なら現行民法では子の承諾を親権者が代わりに行うことができます(代諾養子縁組)。裁判所の許可すらいりません。多くの場合には問題は起きませんが、一方で深刻な児童虐待(暴行・傷害・殺人・性的虐待等)を引き起こす場合もあります。完全に子どもの視点を欠落させています。
保育園の例は、先ほど述べたようにあらかじめ合意しておけば紛争になりません。仮に合意がなかったとしても、保育園の入所拒否が親権の濫用的行使に当たる場合は、その親は共同親権を失うおそれがあることになります。
最後の転居の事例ですが、これも子どもの生育環境が大きく変わるわけですから、単独親権者の一存で決めてよいと考えるのが不思議です。これを認めると、遠方や場合によっては海外に引っ越すなどして、事実上、非親権者と子どもとの関係を断ち切ることが可能になってしまいますし、そのような転居が子の利益になるかどうかをきちんと検討する手続きは必要なはずです。子どもがある程度の年齢になっていれば、地域や学校での人的関係を持っています。これは子どもの人格的利益と言ってもよいでしょう。それに対する配慮が何も感じられません。
ここで述べられている事例は、全て「子どもの利益よりも母親の利益を優先させている」と言っても過言ではないでしょう。
6 子を高葛藤の父母の間に置き続ける事案の増加のおそれ
決議は、「要綱は、離婚前の子連れでの別居が違法であるかのような誤解を与える。 離婚前の父母においては、わかりやすいDVや虐待がないとしても、様々な価値観の不一致により父母間に高葛藤が生じていることが通常であり、このような状況の父母が、「別居にあたり、子どもはどちらが監護すべきか」を協議して合意に至ることなどおよそ非現実的である」と述べます。
現行民法でも婚姻中は当然に共同親権です(民法818条)。そして、子どもがどこに住むべきかは親権の行使ですので(821条)、父母が共同して行使しなければなりません。DVや虐待があり、ともかく逃げて安全を確保しなければならない事情(窮迫の事情)があるときは別ですが、単に価値観の不一致で高葛藤になっているような場合や、不貞行為をおこなって高葛藤になっているような場合まで、子の居所を単独で変えていいはずがありません。しかし、現実の家裁ではこのような場合にももっぱら子どもの主たる監護をおこなっていたのはいずれかという観点から判断して、共同親権侵害の事実を不問に付します。これが「連れ去り勝ち」の現実です。
決議は、「他方の承諾が無い子連れ別居が適法であるか否かについては、現状『子の利益』に反するか否かで判断されており、①子を連れて家を出た場合と、子を残して自分だけが家を出た場合とで、どちらが子の健全な成育に資するか、②協議の実現可能性があったかどうか、という点が考慮されている(東京高等裁判所平成29年1月26日判決参照)。誤解されているような「連れ去り勝ち」という状況にはなく、現在のこの基準に照らし問題がない子連れ別居は、今後も違法とされるべきではないのは当然」と言い切りますが、全くのデタラメです。現状は、不貞を働いた母親でも子どもを連れて逃げれば、父親はこどもを取り戻すことはほとんど不可能です。そして、父親は親権争いでも負けて、母親によって容易に親子の関係を断ち切られてしまいます。
私は、未成年の子のある夫婦の別居にはもっときめ細やかなルールを定めるべきと考えていますが、それはさまざまな論点について検討をおこなった今回の法改正に盛り込まれなかったことは、残念ではありますが、仕方がないと了解しています。
7 極めて不十分な家庭裁判所の人的物的体制
私は、現在の家庭裁判所の人的物的体制が不十分であることは同意見です。この点は、弁護士会のADR(裁判外紛争解決手続き)の活用などによって当事者の利便性の向上を図るなどの方策がとられるべきと思います。
しかし、最初に述べたように、体制の不足は人権侵害を放置してよい理由にはなりません。
結び
私は、「自由法曹団の共同親権反対決議を斬る①」のはじめに述べたような自由法曹団の弁護士の活動には敬意を抱いています。
しかしながら、今回の決議は法律家の出したものとしてはあまりにお粗末で内容も誤りや偏向に満ちたものだったので、たまらずに筆を執りました。
自由法曹団が本来の目的である、基本的人権と民主主義の擁護という原点に立ちかえることを心から願います。
以上