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自由法曹団の共同親権反対決議を斬る①

はじめに

 自由法曹団は、約2000人の弁護士で組織される弁護士の任意団体であり、全国各地に41の支部を有します。おそらく、弁護士共同組合を除けば国内最大級の弁護士団体でしょう。
 かつては、公害問題や労働争議、冤罪事件など、多くの裁判等において人権擁護を旗印にその存在感をアピールし、弁護士人口の1割程度を組織していたようですが、最近は5%程度にまで下降しているようです。とは言え、弁護士会の要職などを団員弁護士が務めることも多く、強制加入団体である日本弁護士会連合会や各都道府県にある弁護士会に今なお隠然たる影響力を持つ団体です。参考までに、自由法曹団の紹介ページとWikipediaの記事のリンクを貼っておきます。
自由法曹団の紹介ページ
Wikipediaの記述
 そのような団体が、今年2月17日付で「離婚後共同親権制度の導入をはかる民法改正の拙速な動きに反対する決議」(以下、「決議」といいます)を出しました。私は、かつてより日本にも離婚後共同親権の制度を導入すべきと考え、ツイッター(現X)やこのnoteの場などで意見を表明してきましたが、自由法曹団の決議には見逃すことのできない誤りや欺瞞があると考え、本稿を書くことにしました。

序文(柱書)の検討

 まず、序文(決議の本体部分)では、法制審議会家族法制部会が決議・答申した「家族法制の見直しに関する要綱案」(以下、「要綱」といいます)について検討し、
新たな類型の紛争の発生の懸念
子どもとDV被害者など、弱い立場にある人たちが深刻な不利益を受けるおそれ
対応する家庭裁判所の人的物的体制は極めて不十分
という三点を理由として、要綱どおりの民法改正の拙速な動きに強く反対するという結論が述べられています。ここで、注目すべき点は「反対する」という結論の前に「『離婚後共同親権制度』の賛否いずれの立場に立つとしても」という留保が付けられている点です。後述しますが、詳細に述べられた理由の記述を見ると、決議が「離婚後共同親権反対」という立場から作られたものであることは明らかです。
 そもそも、「親が子を愛し育む、子が親から愛され育まれる」ということは当然のことです。法律的に言えば、憲法13条の幸福追求権の内容として保障されているというべきです。また、婚姻中であれ離婚後であれ、父母が対等な立場に立つということは、憲法24条2項の家族生活における「両性の本質的平等」の要請でもあります。
 先に紹介した自由法曹団のHPには、「団の目的は、『基本的人権をまもり民主主義をつよめ、平和で独立した民主日本の実現に寄与すること』であり、『あらゆる悪法とたたかい、人民の権利が侵害される場合には、その信条・政派の如何にかかわらず、ひろく人民と団結して権利擁護のためにたたかう』(規約2条)ことです。」と記載されています。
 いま、戦後75年あまり維持されてきた「離婚後絶対的単独親権制度」は、共働き家庭の増加やそれに伴う父親の育児参加といった社会状況の変化に対応できず、また、単独親権者による不当な非親権者と子どもの引き離しに対応できない、もはや悪法とさえ言えるものです。親と子が関わりあう権利が基本的人権であることを正しく理解すれば、このような安易な反対の決議など出せないはずです。
 また、『拙速だから反対』というのもおかしな話です。法制審議会の議論は3年前から始まっています。それ以前にも、共同親権を求める動きや離婚後単独親権の弊害を正そうという声はありました。2010年ころには、民主党(現立憲民主党)の枝野幸男氏や共産党の小池晃氏も共同親権を求めていました(現在は変わってしまいましたが)。10年以上も何をしていたのか、という話ですし、今後のビジョンも全く示せていません。

 以下、理由の検討に入ります。

1 要綱における離婚後共同親権制度

 決議が理由を述べた各論の中で最初の項目中で注目されるのが次の文です。

「『親権』の意味や制度に対する誤解から『父母が離婚した場合に非同居親が子どもに会えないのはかわいそうだ』『共同親権になったら別居親が養育費を支払うのではないか』として共同親権に賛成する意見もあるが、これらは『監護』の問題である。単独親権の現状においても、親権者でない親も養育費を支払う義務はあり、子との面会について父母の協議で決定できない場合には裁判所を通じて解決する方法がある(民法766条)。」

 まず、「子どもに会えないのはかわいそうだ」という一般的な国民感情は当然のものでしょう。民法766条が改正された後、しばらくの間は裁判所も面会交流の実施に積極的な姿勢に立った時期もありました。しかし、その後「面会交流原則実施論」などと裁判所の対応を非難する声が強くなり、現在は面会交流調停・審判への不満の声が高まっています。実際はどうなのか。統計を見てみましょう。
 認容・調停成立率はおおよそ7割以下で推移しています。ただし、この中には「間接交流」と言って相手方に写真を渡したり手紙を送ったりだけのものも含まれます。「裁判所を通じて解決する方法がある」という文言の欺瞞性は明らかです。

 また、「会える」といってもどの程度の頻度で会えるのかも、問題です。
統計では、全体の約75%が月1回以下の頻度でしか会えていません。また、その時間も2~3時間程度の短時間であることが多いのが現状です。
 子どもの年齢にもよりますが、このような交流で親子の幸福追求権に照らして問題はないと考える人はいないのではないでしょうか。
 さらに、単に「会う」こと以上の養育を望んでも、できるかできないかは単独親権者の考え次第です。単独親権者が拒否すれば、これを救済する法的な途はありません。決議がごまかしをしていることは明らかです。

 次に、養育費の問題です。要綱は「法定養育費」を導入して子のさらなる保護を図っていますが、これは共同親権の導入とセットと考えるべきものです。なぜなら、「離婚」という子どもとは関係のない事情で親権を剥奪された親に『子の養育に責任をもて』とお金の支払いだけを強制する法的な正当性を見いだせないからです(これは現行法と実務についても同様のことが言えますが、長年の慣行として見過ごされてきた問題です)。
 子どもの養育に責任をもて、とするなら、お金だけでなく監護全般にわたって責任と権限を持たせるのは当然のことです。もちろん、「権限」は子の利益のために行使されなければならないことは当然の前提です。
 決議は『これらは「監護」の問題である』と、あたかも親権と監護(権)が全くの別物のように言っていますが、本来は密接な関係に立つものです。ここに決議の重大な欺瞞があります。
                            【続く】


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