筑波大学准教授を卒業して、これから ~カンボジア移住~
なぜ安定を捨てたか?
筑波大学での3年間は素晴らしい時間でした。
・眠っている研究成果を100件発掘(教授へ飛びこみ営業「先生、起業しましょう!」)
・30人の教授の起業支援(スーパー支援者たちの支援)と、10人の教授たちへの資金獲得支援
・つくばシリコンバレープロジェクト(文部科学省JSTの基金事業)立ち上げ
・学生たちからの起業相談
・3億円提供を民間企業へ提案し、研究開発センター立ち上げ
筑波大学にいれば、さらに可能性が広がっていったでしょう。
アントレプレナーシップ教育担当の准教授という立場も頂き、色々と自由にチャレンジさせていただきました。
ところが、家族の負荷が高い。。
ぼくは平日はほぼ、つくば在住のようなもの。
奥様は自己免疫疾患(疲れやすい)。
家事育児は平日はまかせっきり。
かわいい盛りの子供たちとは週末のみしか会えない。
『もったいない』と思ってしまいました。
アカデミアで働くことは夢でした。
起業家育成は最高の仕事です。
つくばシリコンバレープロジェクトのような未来に残る意義のある仕事はなかなかありません。
それでも、たった一度の人生。
ぼくの人生の基盤は、家族。
彼らとの時間があってこその、仕事。
幸い、仕事は、多くの企業様からの新規事業研修や伴走支援を頂いてました。
生きてはいけそう。
ということで、後ろ髪はひかれながらも、筑波大学の准教授を卒業することにしました。
8月いっぱい。
多くの仲間たちには、ご迷惑をおかけしましたmm
1つの扉が閉まると、3つの扉が開く
「独立します!」
と、「次にどこで働くの?」と聞かれたときは答えてきました。
筑波大学でも、外部の方からも、「え? 怖くないの??」と聞かれました。
これは、このnoteを読んでくださっている皆さんへお教えします。
『1つの扉が閉まると、3つの扉が開く』
これまで、何回か転職しました。
まったく土地勘のないところへの転職がほとんどです。
その際、「え、怖くないの?」とよく聞かれました。
特に、今回の筑波大学への転職は、給与も安くなるし、次の仕事は民間へ行くことは難しくなるかも。
それでも、この言葉を体験していました。
特に、恐怖はなかったです。
世界は、チャレンジする人に、優しい。
色々な機会を与えてくれる。
それだけ、動き回るからなのですが。
ぜひ、皆さんもチャレンジしたくなったときは、この言葉を頭の片隅に思い出してください!
2024年、カンボジア移住
では、次に何をするか。
自分の会社でスタートアップ立ち上げや社内新規事業研修はします。
自分でも、いくつか事業やスタートアップをやります。
生活が大きく変わるのは、『住む場所を変える』ことです。
すむ場所が変わると、これまで考えてもいなかった体験ができます。
カンボジアへ、移住!
12年前、アメリカの大学院へ行きました。
大学内や街で知り合った人、コミュニティを作った体験は、忘れがたいものでした。
「またあんな体験を人生の中で味わいたい!」
ずっとそう思っていました。
妻も帰国子女。
同じようなことを考えていたそうです。
2023年の年末に、家族で東南アジアへバックパックしました。
その際、カンボジアの孤児院に2週間いました。
「この国なら、生きていけそう」
そう思い、妻にいいました。
「移住しちゃう?」
二つ返事で、「やろう!」と妻から帰ってきました。
それからは、移住準備で大忙し!
この話は、また別の記事でお話しますね!
お楽しみに~^^