もののけ姫と中世日本社会史

網野善彦の学説で代表的な要素は中世日本の人間たちの階層や職能の多様性です。
もののけ姫を宮崎駿が製作する際に網野善彦の論文を読んで世界観に取り入れたと言われています。
もののけ姫の主な舞台となったのは中国山地のタタラ場という製鉄所とその周囲の山地の森です。
時代はおそらく室町時代、戦乱が激化した応仁の乱以後の頃、中世後期であろうと推定されます。
それをベースに異界としてのもののけの世界と人間の世界とが描かれています。
中世日本の空間認識の中に幽玄の認識というものがあり、端的に芸能で観阿弥世阿弥が表現したのが能楽です。もののけ姫では幽玄の認識ではなく、もののけと人間という認識です。
もののけ姫は中世日本を元にしたファンタジー世界を舞台として命というものは相互に相克し相互にその存在を脅かしその中で生きているものたちがいるという話です。
中世海賊の倭寇の頭目に売り飛ばされてそこから脱出したということになっているエボシ御前という女性がタタラ場という製鉄所を基本とする職能集団を統率し、遊女や人身売買された女性たちや、らい病患者、そして中世社会では社会の周辺に住んでいた人間たちがタタラ場で製鉄や武器製造をしています。
網野善彦の言う職能で民衆が細分化された社会という中世日本社会を描くことで、人間の生きていることを描写していると言われています。
異界であるもののけたちが人間にその領域を侵食されていき、人間との戦いとなります。
もののけである山犬に育てられたもののけ姫サンともののけの神のタタリを受けてそのタタリを祓うためにやってきたアシタカとがタタラ場の争奪戦ともののけの神であるシシ神殺害をエボシ御前が依頼されて行うところから、タタラ場とその周囲の森はシシ神の死により破壊された後に緑が再生されエボシ御前たちのタタラ場の職能集団にアシタカは迎え入れられて新たに生きて行き、もののけ姫サンは再生された森に住むというところで話は終わります。
タタラ製鉄というのは山ひとつ丸ごとを潰して行われていた製鉄で、大量の土砂が下流に流れて行ったことがわかっています。奥出雲で行われていたタタラ製鉄のお陰で出た大量の土砂が斐伊川を天井川にしています。
公方様とか天長様とそういう人間の意向が伝えられてくるのですがタタラ場はその支配のもとにはありません。
シシ神殺害をエボシ御前に依頼してくるジコ坊という僧侶が出てきますがそれも職能で細分化された民衆の一人でしょう。
タタラ場と周囲の森を破壊してしまう大きな戦いの果てでも生き延びている人々がいて、その人々が新たに生きていくということなのです。
メッセージとしてはどのような理不尽にあっても粘り強く生きていくんだということを語るのにこれほどまでの舞台装置の上でもののけ姫は描かれていきます。
いわゆる農民や商人というのは話のほんのさわりにしか登場せず、そのあたりが網野善彦の学説の影響を受けたと言われるところなのだと推定されています。