国民審査に潜む恣意的審査の危険性
国民審査で夫婦別姓の違憲判断した裁判官4人の不信任比率が高かったというが、夫婦別姓は法律問題であって裁判官の裁定の問題ではないのですが大丈夫ですか、不信任にした人たち。
国民審査で不信任にすべき裁判官は今回いませんでした。管見の限りですが。裁定に問題のあった裁判官はさすがに少ないんですよ。
国民審査で恣意的審査などを認めたらあかんやろ。客観的事実を基に審査しないと。恣意的審査を認めると政治力学が裁判に持ち込まれて法治国家でなくなるやんか。
国民審査で今回裁判官4人に不信任比率が高かったというのは客観的事実を根拠にした審査による不信任ではないんとちゃいますか。政治宣伝に基づく恣意的審査でしょどうみても。
夫婦別姓の司法判断は確かに裁判官がしますがあくまでも現行法律に基づく司法判断なので、いくら夫婦別姓賛成派に都合悪い司法判断でも裁判官の裁定に問題があってなされることではなく法律により判断されることです。国民審査で夫婦別姓賛成派に不都合な判断をした裁判官罷免は恣意的行為です。
夫婦別姓を認めない民法の改正運動ならまだしも現行民法で合憲の司法判断した裁判官の不信任というのは法治ではなく人治です。民法の規定の問題なのでそれこそ立法府の国会で扱うべき問題で、衆議院議員選挙において夫婦別姓の是非で賛成派は夫婦別姓賛成の議員を国会に送り込んで民法を改正させるべく運動するのが筋であり、国民審査で裁判官を信任不信任の問題ではありません。
ちゃんとした国民審査の仕方こそ学校教育で教えるべき種類のことです。中学の公民や高校の政治経済とかで教えるべきことです。