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弥助という黒人

戦国時代の日本に弥助という黒人奴隷が来ていた記録はあるが侍ではなく写真撮影技術もこの時代の世界にはない。写真の城郭は近世城郭様式で江戸時代築造の城郭とみられ、侍の刀の帯び方がおかしい。刀を差す帯が違う。後世の生成AI写真。


織田信長が寵愛した黒人奴隷の弥助が日本に来た頃の扱いと似た黒人たちは南蛮人渡来図に描かれており、写真などではない。織田信長も絵図はあるが写真はない。日本で写真に写った人物写真が現存するのは幕末で坂本龍馬、小松帯刀、松平容保、徳川慶喜、などが現存する。

狩野内膳 南蛮人渡来図


戦国時代の日本に来た弥助が侍か奴隷かはどうでもいいとか言い出しており、写真もないのに写真捏造したりしており、弥助のような黒人が描かれている狩野内膳の南蛮人渡来図の黒人たちはスペイン人などの大航海時代の様式の洋装で描かれており着物などましてや鎧など着た姿の絵図も見つかっていない。
戦国時代の日本に市民権を持った黒人など来ていない。黒人が欧米社会で公民権を得るために運動した米国の黒人公民権運動が1960年代であり、日本で黒人の侍がいたという創作作品がこういう今の状況の原因であろう。フィクションならそれでいいが現実の事実とは分けて考えた方がいい。
追記2024年7月23日19時00分
問題の発端であるアサシンクリードシャドウズ開発チームがゲームで登場する弥助は戦国時代の日本のテイストのフィクションであるという説明をした。
これでいいと思う。
追記2024年7月23日20時45分
見解を提示し確からしさを検証するのが実証科学であり、弥助の件もそういう検証をして諸説明示とかになっていくだろう。ただ記録をみる限り織田信長の寵愛を受けていて日本には南蛮船に乗せられた黒人奴隷として来たらしいであり、黒人奴隷から織田信長の家臣の侍になったのかどうかというのは?である。
弥助の件で思ったがおかしいと思って口を開くまでこの件を歴史家が話題にせずアサシンクリードシャドウズ開発チームがフィクションと説明すると洪水のように口にするようになっており、そんなことで学問も人生も生活も頼りないものになると思うだけである。自説を堂々と言えばいいだけのことである。
外国人の侍には徳川家康の家臣になった英国人の三浦按針が記録にあるが、黒人の弥助が織田信長の家臣になった仮説というのは見解としてはそれでいいが確からしさを検証されるだろう。
歴史学が過去の失われた事実を欠けたパズルピースのように組む像影なのは知見としてある。
ゲームの黒人の侍の弥助が米国映画のラストサムライのカツモトと違うのは日本人ではないからだ。
侍というのは記録をみる限り日本の中世近世に居た階層の人々のことを差し人種の幅は日本の地政学的特性であまり黒人の侍がいたことの確からしさはないからである。
侍というのはもともと「さぶらふもの」という従者のことで奴隷ではなく自由民だったというのが一定の見解として妥当だと思う。奴隷が自由民になるときというのは金銭や産品の対価として取引の商品にされない状態をいい、織田信長は弥助を南蛮人から購入したのではないかと思われる。
世界的にみてどの国にどの時代まで奴隷がいたかは国によって異なっており一般的見解では奴隷制というのは古代社会で一般的で米国や露国でかなり時代が下っても存在していて大航海時代の欧米社会には奴隷が存在し、戦国時代の日本にもその後の江戸時代の日本にもまた昭和二〇年になるまで一般的に人身売買が存在したので戦国時代の日本には奴隷が居たと推定される。
中世の侍でも下級であっても苗字を持っており弥助のように苗字が伝わっていない人物は侍ではない。侍なら苗字がある。◯◯弥助とかそのように表記されるはずである。豊臣秀吉は最初、日吉という農民で木下ねねと結婚して木下藤吉郎という侍になった。このような事例からも単に弥助なら身分は低いだろう。
ただあくまでもこの見解も現時点で現存する歴史記録というパズルピースで描かれている像影であり、新たなパズルピースが見つかりそれが捏造でないと確定すれば新説として弥助の苗字が発見されその苗字を足した◯◯弥助という黒人の侍が織田信長の家臣に居たというものになるだろう。
追記2024年7月24日
本能寺の変の時代の本能寺跡を発掘調査したとして仮に黒人の人骨が出土したと仮定すれば織田信長とともに弥助は本能寺に居て明智光秀軍と交戦したということになりその時の身分は下人だったのか侍だったのかは副葬品も出土すれば考古できる。同時に織田信長は本能寺で亡くなったこともかなりの確率の確からしさが出てくる。近世史研究においての本能寺の変の見解に新説が提示できるだろう。
追記2024年7月25日
弥助の件で妙な話になっているが、面白くない歴史的事実より面白そうなフィクションを事実と信じるといえば安重根(アンジュンクン)はテロリストではなく英雄であるというものがある。現時点の見解では弥助は奴隷ではなく侍であるというのはそういう種類のファンタジーである。
大航海時代の欧米社会では黒人は奴隷だったことはいくら不都合でも事実であり、戦国時代の日本では黒人の侍もいたのだと言いたい人々というのは多くは現代の欧米人であり自分たちの先祖が過去にやった人道に反する行いをそのようなファンタジーで上書きしたいからであろう。そう都合よくはいかない。
残っている記録や絵図から導き出され描かれる弥助像というのは南蛮船に乗せられ労役をさせられる奴隷として堺に上陸しその屈強な風貌が話題となりあるいは直接織田信長が目にしたか伝え聞いて南蛮人に交渉して弥助を購入したのであろう。その後1年ほど近習の下人として付き従い本能寺までついて行ったとみられる黒人であるということである。
ロックリー説の確からしさを検証することはしても職を免じろと署名を集めるのは明らかな間違いである。
面白く独創的な学説というものは決してファンタジーではなく学識と知見に基づく独自見解のことを言う。