教会も現在の非常事態に気がついて!
ワクチン問題に対する認識において極端な二極化が起こっているのは今の世の中の状態を平時とみるか非常時とみるかで大きく違いが出ています。
もちろんパンデミックが起きていますから非常時であることには違いないのですが、接種を勧める人は基本平時の状態から抜け出せず、平時に戻りたい、戻るためにはワクチン接種などが必用だと考えています。
つまりパンデミックへの対応をしっかりすれば平時に戻れると信じているのです。
だからマスク警察が発生したり、ソーシャルディスタンスを守ったりワクチン接種率を高めようとするのですが、自分が頑張れば頑張るほど、自分が頑張ってるのにあの人たちは何をやっているのだとマスクやワクチンに反対する人たちのことを許せない気持ちになります。
一方、現在起こっている非常事態はパンデミックではない、パンデミックを作り出して世の中をコントロールしている人たちが利益を得るためにワクチン接種を勧めていること自体が非常事態であると考える人たちにとっては、政府やマスコミが行っているパンデミック対策によっては平時に戻ることができないと考えているのです。
さて、教会のほとんどがなぜ政府やマスコミに従い平時に戻るためには接種を推し進めることが大事だという立場にあるのでしょうか。
それは、教会を守るためです。
これまで築きあげてきた教会、組織としても建物としてもそれを守るためには一刻も早くパンデミックによるロックダウンを抜け出して人が礼拝に集まらなければならないと考えます。
教会に人が集まれないと実際、経済的にも困窮します。
政府の方針に従い、一日も早く規制を緩めてもらい、また民衆の目にも適う対応をすることで地域の信頼を得ることが集会を再開する近道だと考えるのは当然なことでしょう。
信徒の目もあります。
日本の八割以上の国民はパンデミックをマスコミから流されてくるままに受け入れ信じていますから教会員のほぼ八割も同じ考えでしょう。
その中で牧師がパンデミックは茶番だ、ワクチンは危険だ、とか言い出したら何を言ってるんだということになります。
大手の会社に務め教会を経済的に支えている教会員ほど、保守的に政府、マスコミに従いそれを守ろうとするでしょう。
それはキリスト教会だけに当てはまりません。
鎌倉のお坊さんがワクチン問題を考える宗派を超えた僧侶の会を立ち上げたら周囲から大変な圧力がかかってきました。
増してや小さなプロテスタントの教会など批難の風に晒されるとひとたまりもありません。
しかし、もしこのところ明るみになってきつつあるワクチンが危険なもので、パンデミックが軍産複合体の超資本家たちによって作り出された茶番が真実であったとするならば、それに従った結果はもっと酷いことになるでしょう。
教会も甘い汁を吸った御用学者たちと共に大きな裁きを受けることになります。
薬害問題が表面化しつつありますが、実際私の周囲でも急死する人が増えて目立ってきました。
調べると皆さん、3回、4回と接種されています。
正に地獄の始まりですが、それでも気がつかない人は気がつかない事でしょう。
エジプトのパロ王のようにモーセを通してどんなに神の奇跡を見せられても心が頑なになっているからです。
以下、私のツイートで呟いた内容を紹介します。
聖句を引用してまで接種を勧めることに対して強い危機感を持ったのでよく引用される2つの聖句について検討しました。
一つ目はマルコ福音書16章18節の「毒を飲んでも死なない」について。
これは宣教命令の中で語られたイエス様の言葉です。
宣教活動をしていく中で迫害を受けたり困難にぶつかるかもしれないけど、神様がついているから大丈夫だというメッセージですね。
それをわざわざ自ら毒(実際に毒かどうかの判断は別として毒かも知れないということでワクチンを勧める人はこの聖句を使っているのでしょう?)を体に取り入れて大丈夫というのは狂気の沙汰です。
その考えでいけば、たとえ青酸カリを自分で飲んでも死なないと言っているのと同じです。
まあ、推進する牧師はワクチンは毒じゃないと判断しているからこういうことを言うのでしょうけれど、日本の大学病院の偉い先生方がワクチンと死亡、後遺症の因果関係を問題視し、薬害問題が明らかになりつつある今でもこの聖句を使って勧められますか?
二つ目はテモテ手紙14章4節「感謝して受けるなら何一つ捨てるものはない」について
これは旧約聖書において忌むべきものとされたもの、たとえば豚肉など。神の被造物に対して何一つ忌むべきものはないという解釈と私は受け取っています。
mRNAワクチンは神の造られた被造物の設計図、DNAを変えてしまう人間が奢り高ぶってできた産物、自然のものではなく人工物です。
それさえ受けなさいというなら人間が作った化合物、サリンやVXガスでも「感謝して受けるなら何一つ捨てるものはない」ということになります。
ましてや多くの死者、後遺症が出て、薬害問題となりつつあるものを感謝して受けるなんてとんでもない聖句の誤った拡大解釈でしょう。
前々回の投稿で紹介した京都大学福島先生の怒り「科学と医学を無視している」に加えて「神学を無視して聖書を都合よく曲解」するならその教えはもはやカルトと言わざるを得ないのではないでしょうか。
なんとかキリスト教会に目覚めて欲しい、そして悩んでいる人の受け皿としてもフェイスブックでグループを立ち上げました。