自分の間違いを認めることの大切さ
自分が信じていたものが間違っていたことに気が付くって決して恥ずかしいことじゃない。
むしろ、間違っていたのかもと思いながらそのまま自分の大したこともないプライドを守るがために、一度信じたことを頑固に貫く方がよほど恥ずかしい。
素直に認めましょう。
そろそろ日本の医師たちも気が付いて情報を発信しはじめましたから、皆さんが気が付くのも時間の問題かも知れません。
私も昨年、コロナのことが騒がれ始めた頃は、中国の情報筋や、日本の大学関係者からの情報などでいち早く、これはやばい、危ないと思って家族や友達に警告したりしていました。
ただ被爆問題と比べたら遥かにリスクは低いだろうとは思ってました。
コロナで騒ぐ人はなんで原発事故の時に騒がなかったんだと冷ややかな目を向けたり被爆問題を誤魔化すためにこんな騒ぎになったのだろうかとか。
でも、入ってくる情報から得体の知れない恐怖感は感じ、コロナなんて風邪と同じとか、自粛するなんて必要ないという人には、いくらなんでもそれはないでしょという目で見ていました。
ところが政府の頓珍漢な対策やマスコミの流す情報が何か変だなとだんだん思いはじめ、世界の科学者や医師たちがワクチンへの警告を発しはじめてから、このパンデミックは仕組まれたものであり、必要以上に私たちの恐れを煽っているということに気が付きました。
どちらかというと私は家族の中でも一番気が付くのが遅かった方で、私のまわりにいる人の方が先にワクチン接種やその流れの危険を発していました。
ところが、今回、日本へ行ってみてその主張はほぼ正しいことを確信しました。
だから、今からでも自分の考えが間違っていたと思われたら私と同じように主張を覆してもいいんですよ。
私の場合はワクチン接種が始まる前に気が付いて本当にセーフでした。
でももっと早く気が付いて入ればみんなに接種前に警告を発することができたのにとも悔やみます。
今からでも諦めないでください。
偽薬を打たれた可能性もありますし、強さには何段階かあるそうでどれが打たれたかはわかりません。
デトックスの方法もありますし副反応を治療してくださる医師もいます。
科学者の言っていることも様々で、今の段階ではすぐに出てくる副反応が予想より酷いということは事実のようですが、長期にわたる影響についてはわからないというのが正解で、もしかしたら接種者全員が亡くなるという最悪の事態は避けられるのかも知れません。
(実は私個人的にはそこまではならないだろうと思っていますしそう信じたい気持ちでいっぱいです。私の思いだけであって責任は持てません。)
でも、気がついたらこれ以上はもう接種受けないことです。
原発事故の時もそうでした。
311を機に、被爆問題を発言しはじめたら、何を今さらと昔から反原発を主張していた友人から言われましたが、別にそれでいいんじゃないでしょうか。
アメーバブログに書いたようにLGBTに対する認識も同じく、60年近く、私は否定してきました。
なんとかそれを潰してやろうと資料を集め、論文を書こうかと思うくらい積極的反対派でした。
それが180度覆ったのですから、まわりは信じられないでしょう。
自分が議論して自分の考えを押し通したと思う人、誰だったっけとできるだけ思い出して謝罪しました。
でも必ずしも謝罪しなくてもよいです。まずは自分の中で気がついて整理することが大切ですから。それにそれが人や社会のためと本当に信じていたことなら許されるでしょう。自分の私利私欲のために嘘を言っていたのだとしたら、それは悔い改めなければなりませんが、心から悔いるならそれも許される可能性はあります。
気が付くのは、人それぞれ時というのがあるのですから、その後先なんて関係ありません。
聖書ではパウロがそうでした。
彼はクリスチャンを迫害し、捉えては牢獄へぶち込み、拷問を加え、殺すことに賛成する人でした。
それが正しいことだと信じていたのです。
ところが復活のキリストに出会っていったん目が見えなくなり、その後、肉体の目が開かれると同時に魂の目も開かれ、命をかけてキリストを伝える者へと変えられていったのです。
ちなみに「目から鱗が落ちる」という言葉はここから生まれました。
生前のイエスキリストには出会っておらず、直弟子である使徒たちの誰よりも遅く気が付きましたが、彼らより聖書を記した量は多いのです。
誰よりも働くことで彼は身をもってその謝罪を表したのでしょう。第一コリント人への手紙15章10節のところでそのことを告白しています。
そのためには柔軟さと謙虚さが必要だと思いますが、それは自分の力でできるものではありません。
心を静かにして問いかけてみましょう。
自分の正しいと思っていたもの、自我が完璧に打ち砕かれる時かも知れません。
人間なんて神の前には弱いちっぽけな存在です。
変に片意地はらず、間違いを認めようではないですか。
私もまた今の考えが間違っているのかも知れないとは常に思いながら、入ってくる情報を見ていきたいと思いますが、現時点では正しいと思ったことを発信しています。